日本漁業が滅びる日
◉Wedgeオンラインに『このままでは日本人の手で日本の漁業が滅びる』という記事が、アップされていました。日本の漁業の問題点は、もうハッキリしていて。獲り過ぎなんですよ。明らかに数が減っている魚種でも、上限枠は漁獲高より遥かに高く設定され、取り放題。国産のシシャモとか、もう絶滅するんじゃないかって勢いなのに。で、批判されれば他国が乱獲してると、責任転嫁。日本の農林水産業は自民党の票田で、未だに族議員が幅を利かせていますしね。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、鰯の写真です。
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■迂回公共工事か■
24年の水産度予算案では、資源管理に充てられたのは58億円で、水産改革以前の水準に近いところまで削減されてしまったそうで。逆に、大幅に増額されたのが漁港の整備等に使われる公共予算で、けっきょくは公共工事に回す金は批判されやすいので、そういう迂回をやってるのでしょうけれど。今回の能登半島地震で、インフラ整備は大事だって再認識されたんですから、迂回せず必要な分はちゃんと別枠で申請し、調査・研究費用は確保すべきだったのに。
今必要なのは、雨漏り対策のバケツを増やすことではなく、雨漏りの原因調査と対策のための予算で、その上で修繕のための予算でしょうに。日本の漁業の問題は、勝川俊雄氏などが、繰り返し指摘されているのですが、改善の兆しは薄く。自分などは、わざと漁業従事者を減らし、ある程度の数になったら食の安全保証のための補助金制度に移行しようと狙っているのではないかと、疑ってしまいます。そっちのほうが、話が早いのかもしれませんが。そういう統制経済的なことって、長い目では失敗しそうです。
■非科学的な反対■
自分は保守派ですが、こういう守旧派や科学的なものを受け入れない人間は、反ワクチンや親学やEM菌とか信奉している同様、批判的です。クロマグロのような高級魚はもちろん、サンマとか大衆魚──はっきり言えば下魚とされていたものさえ、漁獲量は激減し。それはウナギにしてもそうで、レッドデータブック入や間近の魚類は多いです。今やカタクチイワシやウルメイワシですら、1985年に9.3万トンをピークに、2021年の漁獲量は3.4万トンですから、今のうちに手を打つべきように見えます。
TAC制度とは水産庁の説明によれば、魚種別に1年間の漁獲量を漁獲可能量(Total allowable catch=TAC)としてあらかじめ設定し、漁業の管理主体である国都道府県ごとに割り当て、それぞれが漁業者の報告を基に割当量内に漁獲量を収めるよう管理する制度です。ごく真っ当な制度なんですが、あれば有るほど獲りたいという漁師・漁協側の反対で、上手く行っていません。これ、個別漁獲割当(Individual Quota=IQ)制度を導入しないと、先に取ったもん勝ちで、乱獲や抜け駆け競争になる部分があるんですよね。
■議論は科学的に■
以前にも書きましたが、新潟県佐渡市の赤泊では2011年に、ホッコクアカエビのエビ籠漁で、日本で初めてIQ制度を本格導入したのですが。こちらも漁獲量自体は増やしていないに、エビのサイズが大きくなりキロあたりの単価が上がって、儲かっているとのこと。福島でも、東日本大震災からの福島第一原発事故の結果、禁漁状態になった結果、釣り人の憧れでもある座布団カレイが取れるようになっているとか。明らかに成果は出ているのに、屁理屈で反対する。昭和の時代の、牛肉オレンジの自由化や、米の自由化のときと同じです。
農水族や、農林水産省の無策無能とか、イロイロと思惑は入り乱れているのでしょうけれど。再現性のある科学に準拠しないと、能登半島地震でパラシュートで物資を投下しろとか空挺団に荷物を運ばせろとか全国のフェリーを能登に集めろとかキャンピングカーを全国から借り受けろだとか、バカ丸出しの寝言を言う羽目になるわけです。流通や分配の意識がなさすぎです。安易に消費税反対論を言う人も同じで、小売の現場や会計が、どれほど混乱するかをわかっていないんです。
■敵時に適材適所■
この件に関連して、生田よしかつ氏のアカウントが、興味深い内容をポストされています。長いですが、とても重要な内容ですので、リンク&転載しますね。流通の問題は、大きいです。ソビエト連邦が経済的にダメになったのも、計画経済でもいちおう、農業生産はある程度あるのに、流通軽視で農産物が都市部に上手く届かず、一方では腐らせ一方では品不足という、大きな問題を抱えていましたから。なぜ流通を軽視するかといえば、商売の本質は流通で、多くの宗教がこれを詐欺と思い込んでるからです。
寛政の改革で知られる松平定信は、商は詐なりと喝破したのですが。要は商売ってのは、詐欺だと言ってるわけです。100円で仕入れたものを150円で売るのはズルいという考え。でも実際には、流通にはコストがかかるわけです。富士山山頂の缶ジュースが、交通費が反映されて高くなるのは当然。これが飲食店だと、原価率は30%以下に抑えたい。これは逆に言えば、30円のものを100円で売ってるわけで、商売がわからない人は詐欺に思うわけです。でも実際は、シビアな原価率の上で、真っ当な商売をすればそこら変に落ち着くわけです。
■流通の問題が鍵■
商売という言葉が、殷王朝の首都が商という地名で、某国の民になった商の人が、ユダヤ人よろしく各地を移動して、流通を担ったことが語源。商人もユダヤ人同様、バカにされ賤業とされた商売に着くしかなかったのと、似ていたのでしょう。でも、経済というのは、流通という血管がなければ、簡単に末端が壊死します。これは、エネルギーという大動脈の実感がなく、「たかが電気」とか「電気は足りてる」と放言する人の感覚とも同じです。そのエネルギー問題で、日米は開戦に至ったのに。
そこがわかっていないから、「道路が分断された地域に空挺団を投入しろ」→「投入した隊員の食事とかし尿はどうするの?」と聞かれてバカを晒し、「キャンピングカーを借りろ」→「誰が運転して能登に持って行くの? 持っていった運転手はどうやって帰るの? そもそも自動車が入れる地域なら、普通に虹避難所に移動したほうが安くて確実じゃね?」と突っ込まれるわけです。流通=商売がわかっていないから、そういう思いつきで物を言う。その数字無視の先には「二千万の日本人を特攻として用いれば負けはしない」があるのです。
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