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知ると識ると痴る

2017年5月26日に書いたツイート連投が我ながら良い出来だったので、再編集して保存( ´ ▽ ` )ノ まぁ、ピンとこない人にはとりとめのない内容ですが。

■肉体的実感を伴う知■

中国の古典で読んだ話。馬車の車輪を作る職人に、ある王様が作り方のコツを聞いたところ、作り方の手順や概要は説明できるが、実際の作り方のコツは実際に作ってみて体感するしかないから無意味だ……といった意味の事を、職人が語ったという逸話を読んだことがあります。出典不明。

で、思い出しのが広島カープの大打者・山本浩二さんの逸話。内角打ちの名人と言われた山内一弘氏に、若い頃に教えを請うたところ「内角は肘を畳んで打つ」と教えられたそうです。でも、内角打ちは今ひとつ向上しなかったそうです。ところが三十路を過ぎたころ突然、肘を畳んで打つ感覚が理解でき、それ以降はホームラン王や打点王など、タイトル争いの常連になった……と。

車輪作りも野球も絵画も、人間の身体感覚を伴うモノですから、そこには単なる知識とは異なり、身体感覚と言葉の一致した納得、というモノがあるようです。ゆえに、あらゆる身体動作を伴う行為は、最終的には独覚──自分自身で悟りを開き、他人に教えることはしないことに。それは個人的経験ゆえに、教えてもどうにもならないからと、諦めるのですね。

■お釈迦様の苦悩■

お釈迦様も悟りを開かれた当初、自分が悟った法(ダルマ)は他人には理解できないだろうと思い、真理を悟った多幸感の中で、そのまま死んじゃってもいいやという気分になったとか。そうならなかった理由が梵天勧請、ブラフマーという神様が現れて、全員は無理でも一部の人々は教えを理解でき悟れるから、悟った真理を説くようのお釈迦様に懇願した……という伝説があります。

呉智英夫子は、そこに知識人の原型を見たりします。アインシュタイン博士が一般相対性理論を発表したとき、あまりの画期的な内容に、高名な天文学者のアサー・エディントン卿に記者が「これを理解できる人間は世界に三人しかいないそうですが」と聞いたところエディントン卿、「3人目が思い浮かばない」と返されたとか。

アインシュタイン博士と自分以外は理解できないという、自慢も半分入ったブリティッシュ・ジョーク。実際は、そんな単純な話でもないんですが。アインシュタイン博士が相対性理論でノーベル賞を受賞していないのも事実なんですよね。真理は深遠で、万人に理解できないから間違いではないわけで。


■暗黙知の領域■

暗黙知という言葉があります。物理学者で社会学者でもあったマイケル・ポランニーが提唱した考えで、大辞林では《M=ポランニーが提唱した科学哲学上の概念。標本の認知や名医の診断のように、明確に言葉には表せないが、科学的創造性を支えている身体を基盤とする知識のこと。》と説明されています。

無意識のレベルで理解しているモノを、言葉で表現するのは難しいことです。暗黙知で理解していることは、膨大なアナログ情報と絡まって存在するので、言語化というのはそこを斬り捨ててデジタル的に処理することなので。そうやって処理され言語化されたモノは、ただの道標、マイルストーンや烽火台でしかないと言えそう。

例えば、一時期「絶対音感」という言葉が持て囃された。音楽家になるには絶対音感が必要という文脈で語られがちですが、音なんて複雑な要素の集合体ですから、そんな単純な話でもないんでしょうけれど。ヴァイオリンもピアノも、同じドの音で処理するって、かえって音楽の奥深さを単純化していませんか? 絶対音感と相対音感の話と同じく、単純化され流布されてる印象です。


■嘉納治五郎の体系化■

例えば嘉納治五郎は、投げ技の達人は投げること自体が上手いのではなく、投げやすい状況を生み出すのが上手いと気づいたと。単純に思えるでしょうが、これは大発見。重心が踵側に掛かった人は大外刈りで投げられやすい、重心が爪先に掛かった人は背負い投げで投げられやすい。雑多で千変万化な状況に、崩しという言葉を与えて分析の糸口にしました。

崩しという概念が生まれ、相手を投げるという状態の整理が劇的に向上した結果、崩しとは重心が崩れて不安定になっている状態という理論化が起き、そこから前後左右の四方の重心の崩れに斜めを加えた、八方の崩しという整理分類が出来るようになって、さらに作り→崩し→掛けの三段階が分類整理され、上手く投げられる修行者が劇的に増加しました。

パースの本で試みたことは、実はこの崩しの概念や、グレイシー柔術におけるポジショニングの概念を、背景技術にも導入できないか……という試みです。だからこそ、四角形分割技法や対角線ワープ技法といった知識(戦力)を、実際の作画でどう使うかの、戦術論の本というのが、その本質でもあります。


■戦術と戦略と■

そうやって得た戦力と戦術を、どう使ってプロになるかとか、アマチュアのまま楽しむとか、画期的な手法を発見する研究者になるとかは、当人の生き方の問題であり、それは戦略論です。絵の描き方が数ページしかないと『アオイホノオ』で嘆かれた、石ノ森章太郎の『漫画家入門』は、戦略論の本ゆえに名著なのです。

石ノ森章太郎が当時として最新の絵の描き方や、自分自身の絵の描き方を語っても、それではフォロワーを産むだけですし、絵の個性は教えられないです。ゆえに、戦力としての絵の講義をバッサリ切って、作家としての心構えや対処法にページを割いたが故に、今でも作家の琴線に触れる名著たり得るということです。

例えば、孫子の兵法も同じ。孫武が生きた2500年前の兵器の運用法を説いた本ならば、飛行機やミサイルが飛び交う時代には、全く時代遅れで読むに値しない本としてとっくに散逸していたでしょう。だが、そこで説かれたのは戦術論と戦略論。ゆえに、現代ですら通用し、戦争以外にも応用が利く名著に。


■孫子の兵法■

例えば「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」という言葉が書かれています。これだけでは抽象的ですが、昭和16年の夏に若手官僚が集められ、日米開戦のシミュレーションを命じられます。結論は、緒戦は奇襲で優位に立てても国力の差でジリ貧でソ連が参戦して敗北……と、恐ろしく正確に予想した事を知ると、輝きを増します。

勝利する軍隊は、事前に勝算を計算できてから戦いを行い、負ける軍隊というのは後先考えずに戦端を開いて、そこから泥縄的に勝利を求めると。いわんや、事前のシミュレーションでも必敗と出ていたのに、戦った大日本帝国軍をや。百戦百勝は理想ではなく戦わずして勝つのが理想という戦略論が、孫子にはあるのです。無謀な戦いは慎むのが国家の大事。

現実には理想どおりにいかないので、次善の策の戦術論として孫子には『用兵の法は、十なれば則ち之を囲む。五なれば則ち之を攻む。倍すれば則ち之を分かつ。敵すれば則ち能く之と戦う。少なければ則ち能く之を逃る』と説きます。これは企業の考え方にも通用するので、未だに古典的名著と成り得る理由です。

■道険笑歩■

戦略論は概論的であり、そこを自分なりに吸収し、直面した問題にどう対処するかの具体的な戦術と、ソレに必要な戦力をどう整えるかは、別の話。それさえも、独覚の範疇でしょう。経営者や個人事業主たる作家や画家の、自己責任の範疇。サラリーマンの傍ら、趣味で絵を描く人には不要。

村田雄介先生の『ヘタッピマンガ研究所R』で、先人の金言は暗闇の中で歩いていたときに、この道は間違ってなかったと思える目安というか道標として心に留めておくのが丁度いい気がする……と的確な指摘があります。暗闇の中で旅に出て、歩くのも自分だし責任を取るのも自分だし、そう言うとき実感が伴った先人の言葉に出会えれば、少しだけ気が休まるものです。

ルートもゴールも人それぞれ。人は何歳で死んでも道半ば。先人の金言がない道さえあります。ソレを面白いと思える人が、新たな道を拓くのでしょう。どうせ辛い道ですから、楽しみながら道を見つけようと思います。

どっとはらい

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