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アフガニスタンと人権と

◉発端は、こちらの呉智英botの内容でした。ここ数日の、アフガニスタンを巡る状況を見ていると、まるで現状を予言した内容ですね。1989年(平成元年)に3%で始まった消費税は、1997年(平成9年)に5%に上がっていますから、おそらくその時期に書かれた内容でしょうね。四半世紀以上前の内容なのに、日本や世界を巡る言論状況は、あまり変わっていないようです。

アメリカの方針が変われば、アフガニスタンの女性は教育を受ける権利も、外出の自由も、たぶん婚姻に関しても著しく制限されます。もちろん、そこは欧米の文化とは違う尺度があるので、タリバーンやイスラム教が全部悪い、なんてのは飛躍した思考です。ですが、まさに人権を不変の真理や絶対的な正義の如く語ってきた、日本の左派言論人やマスコミは、有効な意見が出せてるようには見えません。自分の主観ですが。

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■システムと暴力装置■

けっきょく、人権というのはそれを価値あるモノと国民の多数が認め、それを擁護するための組織があって、その理念に基づくシステム──教育制度や文化施設や法整備など──があって、それを維持する強制力を伴った存在が必要。つまり、人権というのは王権神授説のように、神が与えたモノではなく、国民から正統性(Legitimacy)を貸与された国家とシステムとそれの後ろ盾となる強制力=暴力を持った警察のような治安機構や軍隊と、不可分なわけです。

暴力装置、という言葉は民主党政権時代に仙谷由人内閣官房長官がが国会での質問で「暴力装置でもある自衛隊は特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と答弁し、アホな右派が暴力装置とは失礼だと、大騒ぎしました。自分は仙谷由人氏には批判的ですが、コレは別に左派の書籍では普通に使われる言葉ですし、軍隊の本質をあらわしており、問題視する方が揚げ足取りだと思います。けっきょく、仙石氏は謝罪しますが、それも不要だったと思います。

■御大の誤謬を指摘しない人々■

例えば、男性も被害を受けた刺傷事件を殺傷事件だ小田急ミソジニー殺人とレッテルを貼って、小田急フェミサイドと命名して、声を上げる。そしたら、そういう予備軍が「ああ、オレはなんて酷いことをしようとしてたんだ」と回心して、辞めるんですかね? ゼロとは言いませんが。現実には犯人はイケメンの陽キャラクターで、高校時代はサッカー部に所属し人気者、頭も良くて中央大学合格。

上野千鶴子御大やツイフェミが毛嫌いする、不細工で陰キャラでスポーツ苦手のコミュニケーション不全、低学歴でというイメージとは真逆でした。この上野千鶴子御大の事実誤認に、ザッとスクロールした限りでは、訂正を促しているツイフェミアカウントは、見当たりませんでした。自分が見落としてるだけかもしれませんが。それどころか、こんな指摘さえありました。ジョークかと思ったら、マジだったようで。謝罪して削除したようですが……((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

■男女対立を煽る人々■

東京は、非常事態宣言下なのに、集まってデモ。密になって、何やってんですか状態です。例えば夫婦間の殺人事件は、男性が加害者の場合が58.6%%で、女性が加害者の場合が41.4%とのこと。6対4の比率よりわずかですが5対5の比率側に踏み出しています。「女性というだけで命を脅かされる社会はおかしい」というのは、過剰表現ではありませんか? 男がやることは、だいたい女性もやるのですから。これでは男女対立を煽るだけ。

東京新聞はフラワーデモ寄りの報道姿勢。共産党の赤旗も好意的に報道しています。

さすがに、テレ朝ニュースは【小田急刺傷はフェミサイド?“決め付け”に懸念も】と、過剰表現に疑義を呈しています。

参考に。

■沈黙は賛同じゃなかったの?■

かつて、福島瑞穂社民党党首が弁護士時代、坂本弁護士一家失踪事件が起きたとき、人権派弁護士の仮面をかなぐり捨てて、犯人はオウム真理教に違いないから別件逮捕しろ(大意)と、週刊プレイボーイ誌上で口走りました。けっきょく彼女の人権活動というのは、殴り返してこない国相手にイキってるだけで、実際に拉致や殺人を実行する暴力を躊躇わない宗教団体には、本音が出ちゃった。

どんなに批判しても逮捕監禁処刑なんかしない、安心安全な日本国政府にオウム真理教は本気で戦争を仕掛けたのですから。自分には、今回のフェミサイドデモも、根っ子は同じに思えました。福島瑞穂弁護士がオウム真理教に怯えたように、本物のフェミサイドには沈黙してるように見えました。

※追記です。この部分について、上原潔氏からこのような指摘を受けました。

なので、国会での福島瑞穂議員らが、安全保障関連法案の総括質疑を行うための理事会室前のドアを塞ぎ、排除しようとする与党議員に「触るな!セクハラだ!」などと抵抗したときの記事もリンクしておきますね。セクハラと言われれば手が出せない日本の議員や警備員と、アフガニスタンの女性知事がタリバーンに殺害される可能性が報じられている状況を比較すれば、彼我の差にイロイロと思いがよぎります。

そのような考えから、以下のツイートをしました。

■有限責任と無限責任■

Twitterは仕様が変わったのか、なぜかこのツイートに対するリプライが、通知欄には表示されず。それは引用ツイートも同じで、稀に来る程度。で、引用ツイートの引用ツイートが流れてきて気付いたので、開いてみたらたくさんのお叱りを受けていました。

いや、お前らとか、自分のツイートでもないものを持ち出されて、無限責任を求められましても……。

論点が解っていませんね。そういう人がバンバン殺されてる、お前は批判しないのかという無限責任を求めつつ、都合の悪いことに対しては自分は有限責任を論じるツイフェミのダブルスタンダードに、自分は疑義を呈しているのに、なぜこっちはやらないんだってのは、正に語るに落ちてるわけです。

例えば、お笑い番組でのパイ投げとか、プロ野球でのビール掛けをすると、不謹慎だもったいないとか、アフリカには飢えた子供もいるのに……といった批判がきます。そりゃあ、痩せこけた子供の映像を見れば、誰だって心が痛むでしょう。でも全財産をなげうって、飢餓を救おうという人は、そんなにいません。ゼロではないです。でも人間は有限の存在ですから、そういう無限の責任を取れません。

日本の左派の問題点は、この当事者意識を欠いた無限責任を他者に言い募り、でも自分のダブルスタンダードを指摘されると、だんまりモードに入ったり、論点逸らしに走ったりすることなんですよね。女性を殺すなと男性全般に無限責任を求めておいて、アフガニスタンではどうなのという突きつけられると、ウイグル論法だとレッテル貼り。でもこの方とのやり取りは、結果的に論点が浮き彫りになって、有意義でした。以下に転載します。

有限責任と無限責任を、恣意的に使い分けるツイフェミのダブルスタンダードに対する皮肉が、そもそも解っていないようです。この方は、誠実な部分があるので「日本内の女性問題を中心に声を上げる」と、有限責任の範囲を示したわけですが。ツイフェミはそこを曖昧にしちゃう。宇崎ちゃんは遊びたい!騒動のときも、お気持ち以上の基準は見せられず、仲間内でのみ通じる論理で安心立命。

■実は言霊思想の左派■

上で書いた暴力装置の意味が、役割が、ここで問われる訳です。デモで声を上げて、それが何らかの効果を持つのは、ある程度以上の民主主義尊重のコンセンサスとか、あってこそ。それがないから、中国は天安門事件でデモの学生たちを大弾圧したし、香港の民主化運動を弾圧し、骨抜きにしてしまった。でも、日本の左派は王権神授説と同じレベルで、天賦人権論を信奉している。そうじゃないというのが、最初の呉智英夫子の指摘。

昭和の時代の左派は、スローガンを唱えれば現実はそのスローガンのとおりになるという、無自覚な言霊思想に囚われていたわけです。でも現実にはそんなことはなく。憲法9条があれば日本は平和だったかと言えば、拉致被害者はいたわけですから。また、盧武鉉大統領は竹島問題でイラついた結果、島根県の自衛隊施設を武力攻撃する寸前だったのが、ワシントンポスト紙の報道で解っています。憲法9条が平和を守ってくれてるわけもなし。

ところが昭和の時代は、非武装中立論とか、まかり通っていたわけです。これも一種の言霊思想。永世中立国のスイスは国民皆兵の徴兵制の国で、けっこうな重武装国家ですから。軍隊なき国家と左派マスコミが取り上げる国は、実は警察機構がそれを肩代わりしていたり、大国の庇護があったり。日本のような大国では難しいでしょう。実効性のある方策が提言できなければ絵に描いた餅。なんか、おかしいですか? ただの現実の指摘ですよね。

■論点を捏造する作家■

例えば、石橋正嗣社会党委員長は、自衛隊違憲合法論という、柔軟なことを言ってたわけです。自衛隊は憲法の原理原則で言えば意見だが、現に存在し社会のシステムとして機能してるから、合法であると。グレー決着ではありますが、現実対処的。同様に自分のツイートに、「提言ができないのは、非武装中立論的な空理空論を自分が言ってるからでは無いのか?」と内省し、気付きの切っ掛けになればいいと思ったのですが。そうはなりませんね。

いやまぁ、別に非武装中立論でも、言いたきゃ言えば良いです。ただそれは空念仏に過ぎませんよね? そんなものを聞く義務は、自分にはありません。ところがコレを、瀬川深先生は「実効的な手立てが打てないなら思想信条を表明すべきでない」と、自分が言ってもいないことを作文して、捻じ曲げちゃった。絵に描いた餅が、なぜに「実効的な手立てが打てないなら思想信条を表明すべきでない」になっちゃうのか? でも、こんな単純な誘導に引っ掛かって、突っ掛かってくる人多数。

■ウイグル話法とレッテル貼り■

左派は盛んにウイグル話法と言い募ってきましたが。そもそも、人権人権というクセに、中国のウイグル自治区での弾圧にダンマリなのは、そりゃダブルスタンダードと批判されますよ。古谷経衡氏とか、イヤ日本共産党は中国共産党を批判してるからウイグル話法は無効だとか、支離滅裂な論点逸らしをやっていますがね。「ウイグルの人権弾圧は酷い」でも「人権弾圧は誇張されたでっち上げだ」でも「正確な情報が無いので判断保留」でも、意見表明すればいいのに。

自分の問いかけも、別に実効性のある提言が出せないなら、出せませんで良いのですよ。自分だって、たいした見識が有るわけではないです。バイデン大統領の「あと何人、アメリカ人が命を失えばいいのか」って言葉に、賛同します。アフガニスタン人の人権や人命のために、アメリカ人の血はもうこれ以上流せない。非情なようですが、国家もまた有限の存在です。無限責任は取れない。

バイデン氏は、タリバンが支配下に置いた首都タリバンの様子に「断腸の思い」だとしながらも、「米軍撤収に適したタイミングなどはない」と述べた。
「あと何人、アメリカ人が命を失えばいいのか」とバイデン大統領は述べた。週末をワシントン近郊の大統領別荘キャンプ・デイヴィッドで過ごしていたバイデン氏は、ホワイトハウスへ戻り、アフガニスタン情勢について約1週間ぶりに公的に発言した。
バイデン氏はさらに、「自分の決定が批判されるのは承知している。しかし、この決定を次のアメリカ大統領に、実に5人目に引き継ぐよりは、自分があらゆる批判を受けた方がいい。これが正しい決定で、これがアメリカの人たちにとって正しい決定だからだ」とも述べた。

でも瀬川先生は「実効的な手立てが打てないなら思想信条を表明すべきでない」と捻じ曲げる。こんな単純な誘導に引っ掛かる人の多さに、驚きましたが。

■非武装中立論的なお花畑論法■

「アフガニスタン人の人権を守れー救えー」と言っても、誰が主体となって救うのか? アメリカができないという以上、それは日本にもできない。いわんや、個人をや。であるならば、取れる方策は少ないです。例えば、タリバーン政権が自滅するまで、静観するのもひとつの選択肢。難民対策とテロ輸出対策をし、兵糧攻めにするのもまた、ひとつの方策。それじゃかわいそうだ救え、というならあなた自身が有効な対案を出すべき。

出せないなら出せない、と口にすることによって、ではどんな有効な方法があるのか、考えを深化させる契機になるでしょう。自分に考えつかないなら、政策を持った政治家を支持する、でも良いわけです。ところが、「実効的な手立てが打てないなら思想信条を表明すべきでない」と、こっちが言ってもいないことを瀬川先生が捻じ曲げていると読み取れない人は、これを前提に突っ掛かってくる。ハッキリ言って知らんがな、です。

そこで、非武装中立論的なお花畑から、海外在留邦人の救出における法整備とか、安保法制とか、あるいは防衛費の増額議論とか、諜報機関の設立議論とか、憲法改正論まで進むなら、議論ができるわけです。もちろんそれは、専門家から見たら稚拙ではあるでしょうけれど、お花畑理論より遥かにマシ。そういう有限責任の限界を見据えた議論が、世論に益すると自分は思っています。でも、左派は考えてこなかった。その証拠のひとつが、このやり取り。

けっきょく、自分が知らないことは相手も知らないと思い込み、鬼の首を取ったようにはしゃいだら、考えてこなかったことを自白しちゃった図。もちろん、この方の事例を以て一般化するつもりはないですが、この方以外に誰も自衛隊の在留邦人派遣問題や、安保法制について、触れさえしなかったことは付け加えておきます。それを考えれば、現実になってしまうから考えない、というのがまさに言霊思想の典型的な発想。それ自体は自分もありますし、仕方ない部分はありますが、自覚的ではありたいです。

■声を上げることが自己目的化■

何度も書いていますが、ネットの極論を鵜呑みにして、極端な意見を持つのは実は10%弱で、若者層は多様な意見を見聞きし、割とニュートラルな意見を持っています。これは、双方向性メディアである、インターネットのおかげ。そうすると、子宮頸癌ワクチンに対する朝日新聞など大手マスコミのデタラメぶりが、若者の多くに共有される。そうやって、右も左もトンデモ意見は支持が広がらず、妥当な意見が世論となる可能性。

自分は、安倍政権の取り巻きの文教族の、親学・江戸仕草・EM菌などのトンデモを批判しています。自分は中立でもニュートラルでもないですが、そういう意見のすり合わせの中で、世論が形成されていけば良いと思っています。その一歩が、アフガニスタンの残酷な現実から、我が身を振り返って日本の現実的な世論に踏み出して欲しかったのですが。スローガンで達成感を味わってる人には、見たくない現実だったのでしょう。

■寄付は投資でも免罪符でもない■

オマエはなにをやってるんだという、こういう指摘も受けましたが。大物フェミニストが、タリバーンやアフガンにこう発言したってよってリンクを貼る人って0なんですよね。実際、上野御大や福島議員や伊藤弁護士は昨日見た時点では言及なし。太田弁護士は記事のリンクとRTのみ、石川優実さんに至ってははアフガンに「行ってきなさい」ですからね。現時点での話なので、慌てて新規言及してたら、ごめんなさいですが。それで、寄付をしたから行動してると言われても、それは一般化できるの、と。

こういう疑義を書いたら、こういうツイートが。

アリバイ作りで寄付したとカミングアウトしたことにされてる((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル 自分は各種寄付をしていますが、それは見返りを求める投資じゃないです。ダメだったら、それは無駄金になったと諦める種類のもの。そして、アフガン自体は以前から各種寄付はありました。でも、けっきょくはそれはタリバンの政権再奪取を阻止し得なかったのですから、無駄になってしまったと思うしかない。難民支援とか、公的機関が立ち上げれば自分も出しますが、それは貢献とか声高に言うことだとは思いません。自分の有限責任の範囲内。寄附したからって、他人の無限責任を追及できる免罪符を得るわけじゃないですよ?

■無限責任を求めるダブルスタンダード■

箱ミネコ先生が、非常に適確な指摘をしてくださっていますね。先生と拝見が対立することもありますが、やはりこういう部分は自分と違う視点での正論として、教えられますね。男性もターゲットにしてるのに、一部を切り取って騒ぐのは、それが政治的イデオロギーが背景にある証拠かと。

自分の元ツイートも、男性側に無限責任を求めるのがダメだよ、フェミサイドで男に無限責任を求めるのはアフガンの人権に無限責任を求めるのと同じだよ、自覚してねと言うのが趣旨なんですが。瀬川先生などの論点逸しに乗っかったのか、ワンパターンの批判が来て、苦笑モノでした。まぁ、一部の粘着三以外は、フェイドアウトされたので。納得されたのか呆れたのかは、わかりませんけどね。

このコップの中の論争が、国家とは・軍隊とはなにかをもう一度考え直し、暴力装置としての軍隊をどうするか、自分の有限責任と無限責任はどこまでなのか、安保法制や在留邦人救出で積み残した法的課題の解消、世界の警察をおりたいアメリカとの関係での軍事予算の他国並みへの増額、諜報機関の設立、憲法改正議論などで、お花畑ではない実効性のある提言が少しでも増えることを願います。

■追記として:対アフガン政策の今後■

有限責任と無限責任について解っていない、典型的なリプライをいただいたので、ついでにアフガニスタンの今後についての、自分なりの考えをメモしておきます。アフガンについては非情なようですが、静観してアフガン国民自身による自浄を待つしか無いでしょう。バイデン大統領は実際、これ以上アメリカ人の血は流せぬと、国の有限責任の幅を示しました。勝手に攻め入って何言ってんだという批判とは別に、「私の決断が批判されることは承知しているが、これを次のアメリカ大統領にさせるよりはすべての批判を私が受けることを選ぶ」は誠実な態度かと。

例えばアメリカはベトナム戦争で事実上の敗北(政治的目的を達成できなかったという意味。形式上は勝っても負けてもいない)を喫し、撤退しました。この結果、南ベトナム地域から数多くのボートピープルが生まれました。自分が小学生の頃は、連日報道されましたし、鹿児島県に漂着して、地元の小学校に入った方もいました。それから数十年、中国の覇権主義が顕わになると、憎しみ合ったアメリカとベトナムは共通の敵ができたことで接近し、現在は友好な関係に。

呉越同舟とはよく言ったモノです。ちなみに、呉越の越の国の南にあったのが越南、えつなん=ベトナムです。ハノイも漢字で書くと河内、ホーチミンも漢字で書くと胡志明。ベトナムもかつては中国の影響が大きい、漢字文化圏でした。閑話休題もちろん米越友好には、ベトナム戦争で捕虜になって拷問を受け、傷害を負ったにもかかわらず、両国の友好に奔走されたマケイン議員らの地道な尽力もありました。静観は無策と非難するのは簡単ですが、ベトナム国内や世界情勢の変化を待つことが、けっきょくは最善手であることもある、と。

例えば朝鮮戦争でアメリカは北朝鮮を倒せず休戦、北朝鮮は残った訳ですが。それから数十年、人民は圧政と飢餓に塗炭の苦しみですが、拉致にテロに偽ドル札に覚醒剤密輸にミサイル開発に核開発にとやりたい放題の世襲独裁国家も、3代目将軍様重体説や死亡説まで流れ、イロイロと限界に達しつつあります。もしも北朝鮮がこのまま内部崩壊するなら、アフガンもまた北朝鮮モデルによる静観が、取り得るべきひとつの解かもしれません。

もちろん、北朝鮮にだって、対話したり食糧援助したりして、でもそれが結果的に世襲独裁国家を延命させたのは事実。金大中大統領は太陽政策でノーベル平和賞を受賞しましたが、北朝鮮が崩壊した後の未来では、批判を受けるでしょう。北朝鮮が経済制裁で崩壊に追い込まれたら、即効性はないけれど有効な手段として、アフガニスタンに対しても行われるでしょう。そうなったとき、人道的援助を声高に叫ぶ人が、再び現れるでしょうと予言しておきます。

「今苦しんでる人々を見捨てるのか」と詰問するのは、まさに無限責任の追及。人間は、今すぐ苦痛から脱したい生き物ですし、圧政に苦しむ当事者からしたら、承服できないでしょうけれど。それが現実。もし自分がアフガン国民なら? 唯々諾々と受け入れるか、あるいは反政府ゲリラになるか、反政府ゲリラを支援する人になるか、政府の内部に入り込んで積極的に圧政に加わるか、内部から漸進的改革を進めるか、そういう人物を支持支援するか。

デモもその手段のひとつだという人は、止めませんが。華国峰の時代には許されたデモも、彼の失脚後には天安門事件という形で弾圧されたように。デモが友好な場面とそうでない場面があるように、そこを見極めず、デモを絶対視する言説の人が、昨日からTwitterでは何人もきています。手段が目的化したら意味はないし、絶対視するのにも疑問です。陽明学モドキの稚拙な行動主義は、かえって事態を悪化させることもある(偶然好転させることもある)と。

■結びに■

市井の物書きとしては、出せる愚論はこんなモノ。バイデン大統領に賛同する、の意味です。もっと有効で実効性のある、具体的な方策が出せる人はコメント欄にでもどうぞ。わからない、あるいは判断保留は、自分はけして悪いことだとは思いません。理論ばかりの朱子学の弊害がはびこったとき、知って行わざれば知らざるが如しと、知行合一を唱えた陽明学は、これまた重要な思想です。だいぶ仏教哲学が混入してますが。

ですが、逆に行を尊びすぎて知を軽視する風潮も生まれました。そりゃあ、デモにも一定の効果も意義はあります。でもそういう人で、特攻隊は犬死にだったとは言いませんよね。あれは狂気だったし、二度とやるべきではないけれど、同時に米兵の心胆を寒からしめ、PTSDを発症させたし、成功率も通常攻撃より高かったという統計もあります。硫黄島での栗林中将の奮戦が、ハワイ日系人部隊の奮戦が、日本恐るべしとの認識を持たせたのは、動かないでしょう。

もちろんコレは、原爆を落とす決断に、寄与した可能性もあります。デモの効果を言い募る人は、その反動としての部分を、軽視していませんか、というのが自分の疑義です。日本と米国は憎しみ合って戦争をしましたが、今は不満はあれど友好国。映画『キングコング 髑髏島の巨神』で、ジョン・C・ライリー演じるハンク・マーロウ中尉が「親友を殺すところだった」というのは、最初は殺し合おうとした米兵と日本兵が、親友になった関係を的確に表していますが。日米関係のメタファー。時間が育むモノもある、ということで。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ






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