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エビデンスを憎む朝日新聞

◉朝日新聞が、有料記事でまたエビデンス批判です。今度は文芸評論家の鴻巣友季子さんを引っ張り出して、朝日新聞の言いたいことを代弁させる、いつもの手法です。やはり「処理済み汚染水」なんて表現を使っていた朝日新聞としては、科学的なエビデンスを求められて、まともな反論ができなかったのが、よほど悔しかったのか。そして、東京新聞や毎日新聞ほどではないにしても、X(旧Twitter)では記事にコミュニティノートが付けられて、プライドの塊の朝日新聞としては、悔しくてしょうがないのでしょう。

【「自分こそ正しい」というバトル そのツールになった「エビデンス」】朝日新聞

 「エビデンス」という言葉が日常会話でも当たり前に使われるようになりました。文芸評論家の鴻巣友季子さんは、「自分こそ正しい」というバトルのツールになっている面がある、と指摘します。話を聞きました。

 科学的根拠は重要ですし、私も大学の授業で「エビデンスを示すように」と言っています。ですが、誰かの意見に「エビデンス」を求めたり、自分の「エビデンス」を主張する際に、それが相手を言い負かす目的だけになったりしている場合があり、そういう風潮には疑問を感じています。

https://www.asahi.com/articles/ASRD44G95RD4UPQJ00D.html

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、エビです🦐🍤

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■自分こそ正しい■

でも、考えてみてください。そこらへんの流言飛語や便所の落書きと、新聞記事の違いとは何か? まさに情報としての責任の所在がハッキリしていて、記事の証拠が裏付けられているから、信用されたわけで。朝日新聞がそれを否定するのは、自己否定ですよね? 「エビデンス? んなもんねーよ」と編集委員が放言するまでになってしまったのは、朝日新聞という権威があれば、無責任に何を言っても許されるという、権威主義と思い上がりの合体ではないでしょうか?

前回の炎上記事。大阪大学教授という権威を引っ張り出したら、愚民どもはひれ伏すと思ったのでしょうけれども。この記事をX(旧Twitter)で引用した朝日新聞の河原夏季記者のポストは、300万閲覧を超えながらイイネは500にも届かない、イイネ率0.01%台の大炎上になってしまい、リプ欄も引用ポストも批判まみれに。イーロン・マスク改革で、閲覧数が可視化されていなければ、誤魔化せたんでしょうけれど。朝日新聞グループ関係の記事が、インプレッションガタ落ちなのもバレましたし。

【「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは】朝日新聞

 何をするにも合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示せと言われる時代。そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。なんだか自分の感覚や経験則には、なんの価値も無いような気がしてしまう。「客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書)の著者で、大阪大学教授の村上靖彦さん(53)に、エビデンス重視の世の中にどう向きあえばいいか聞いた。

https://www.asahi.com/articles/ASRBZ3JWJRBWUCVL003.html

さすがに不味いと思ったのか、この記事、タイトルを変更し、無料部分の範囲を狭め、別URLで再アップされています。おそらくは検索避けのためでしょうけれど、当の朝日新聞も炎上に驚き、慌てたんでしょうけれど。以前も、検索を避けるためのタグを、記事に仕込んでいたことがバレましたが。やることがいちいちセコいんですよ。インターネットの時代は、集合知でそういうセコイ仕掛けはバレてしまう時代に。いいかげん、昭和の手法は通用しづらくなってる令和の世。

■決定的なもの■

さらに同日、成城大学専任講師の社会学者、松村一志氏を引っ張り出して、『「決定的なもの」とされるエビデンス 背景に白黒つけたい欲求』と、エビデンスを求める人間は白黒つけたがる辺境な人間だというイメージ操作する気満々の、大見出しを打っています。どんだけエビデンスを憎んでいるのやら……。これは朝日新聞の指桑罵槐、桑の木を指さして槐の木を罵る。罵っているのは槐ならぬエビデンスですが、指さしているのはALPS処理済み水なんでしょう。もっと言えば、本当に罵倒したいのは原子力発電所。さらにいえば、自由民主党でしょ? 見透かされていますよ朝日新聞様。

【「決定的なもの」とされるエビデンス 背景に白黒つけたい欲求】朝日新聞

 「エビデンス」という言葉が、真偽を裏づけるものとして、当たり前に使われるようになりました。でも「エビデンス」って本当に決定的なもの? 社会学者の松村一志さんに聞きました。

https://digital.asahi.com/articles/ASRD62DFJRD4UPQJ00F.html?ptoken=01HH1AEGV25A8E9YKS55ZKMFHB

松村一志氏が言ってるのは、無難な一般論に過ぎません。そこまでおかしなことを言ってるわけではないのですが、小見出しが『雑多なものがひとくくりに』とか『虎の威を借る狐のように』とか、見出しで誘導する気満々ですね。なぜそんなアホな大見出し&小見出しを付けたかを考えれば、見出しや小見出しだけ読んで、中身を読まない人向け。無料記事ではそうやって、全文公開しているけれど見出しで誘導する。有料記事では有料部分で誘導するつもりなんでしょうかね?

前の炎上と同じで、朝日新聞は自己弁護のために、他の識者に代弁させ、自分らのエビデンスの無さを誤魔化そうって黒い腹が、見えませんかね? そういうさもしさを、自分は批判しているのですが。学説でさえも、何十年も定説だったものが否定されるように、絶対的なものはなく。その時点で〝確からしい〟ものです。それを「自分こそ正しい」とか「決定的なもの」とされるエビデンスと書いてしまうのは、実は朝日新聞自身が自分たちこそ絶対的なものと思っていて、その投影なんですよね。自白してしまっています。

■境界があいまい■

朝日新聞、それでも足りずにもうひとつ、記事を出しています。上記三本の記事のダイジェスト的な内容ですが、七條浩二氏が加わっています。なんだか、裁判になると弁護士を7人とか101人とか102人と揃える団体みたいですね。数で力押しって、日露戦争の二〇三高地の白襷隊ですか? 「SNSでは、強い言葉で、短時間で、分かりやすく立場を表明する人に支持が集まります。」って言葉は一面で正しいですが、そこでエビデンスがないじゃんと批判されてるのが朝日新聞です。

【(耕論)「エビデンス」に囲まれて 鴻巣友季子さん、七條浩二さん、松村一志さん】朝日新聞

 「エビデンス」という言葉が当たり前に使われるようになった。政治や教育、時には個人の意見にも、科学的根拠やデータが求められる。そのことで何を獲得し、何を失っているのか。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15811103.html?ptoken=01HH1KWJKFVGP1YGBT2SNF5NWT

西村博之氏を当てこすりたいのでしょうけれども、西村氏も普通に各方面からツッコミを食らっていて、彼を盲信してる信者は一部かと。この記事自体、アリバイ作りですよね。言ってることは一般論として無難で平凡で、おかしなことはそんなにないです。でも、言い訳を用意して行動するシーシェパードやグリーンピース・ジャパンと同じで。そういうところまで含めて、朝日新聞の了見が見透かされてるのに。そのうち、コミュニティノートは匿名で無責任だと、ライターに代弁させるでしょう。

逆説的に、朝日新聞にとってエビデンスを求められることが、かなりのダメージになってる証拠です。1月ちょっと前に炎上したのに、ほとぼりが冷めたと思って、またこういう記事を書く。しかも3本も。引き続き「それってエビデンス、ありますか?」と問い続けることが、主観を根拠にした朝日新聞のデタラメぶりを、周知させるのに有効でしょう。エビデンスが「境界があいまいなニュアンス」というなら、今後は「それって証拠、ありますか?」と聞くようにすればいいでしょうけれど。たぶん、エビデンスを使い続けることが朝日新聞のダメージかと🍤

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