ヴィレッジヴァンガードの危機
◉ヴィレッジヴァンガード、田舎にはこういう本屋はありませんからね。というか、大型書店さえなく、文房具屋と兼用の小さな本屋があれば、まだマシな方で。個性的な本屋があるのは、都会の特権。そういう意味では東京的な、都会的な本屋ですね。愛知県発祥ですが。そのヴィレッジヴァンガードが、いろいろとマズイことになってるそうなんですが。多角経営による失敗とか、売上重視による没個性化とか、典型的な経営失敗のパターンですけどね。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、ヴィレッジヴァンガードの写真です。
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■都市型本屋の限界■
曲亭馬琴が、お江戸はありがたい書いていたように、唐辛子売のような利益が薄い商売でも、圧倒的な人口がいるからこそ成り立つ、という面があります。江戸は幕末には100万人を突破し、同時代のロンドンやパリを抜いて、世界最大の都市となっていましたから。100万人もいれば、1000人に一人しか買わないようなものでも、1000人の需要がありますからね。いわんや、1410万人の花の都大東京なら、そこだけで14000人の需要がありますからね。
九州とか、あれだけの土地があって、福岡とか熊本とか、地方都市としてはけっこうな都会だと思うのですが、それでも1255万人しかいませんからね。面積は4万2231.48平方キロメートルもあるのに。東京の面積は2193.96平方キロメートルですから、20倍も違うのに。都市型の書店は、都市型の書店として、生き残り戦略がったのですが。中南米雑貨とか、狙いは面白いと思うのですが、そこまでの需要はなかった感じですかね。都市型の店舗は、すぐマネをされちゃうので、厳しいですね。
■和製サブカルの弊害■
もう一点、サブカル型の運営の難しさはあるでしょうね。サブカルの定義は難しいのですが、メインカルチャーではないというのがあります。メインカルチャーとは、定義は難しいのですが、大学で学問として教えているようなものですね。なので、ジャズや漫画やアニメやゲームはメインカルチャーになり、ロックやプロレスはメインカルチャーとは言えません。大衆文化=ローカルチャーではあるんですけどね。自分が上京した80年代末は、サブカル勃興期でしたからね。別冊宝島とかが、牽引していました。
でも、映画や落語やプロレスなど、メインカルチャーではない、でもローカルチャーであったところに、クリエイターではない好事家が付くと、それはサブカルチャー化する面が。そして「すべてのジャンルはマニアが殺す」になります。和製サブカルは特に、その傾向が強いです。排他的でプライドは高く、クリエイターよりも評論家を上に置こうとする点で似ています。クリエイターになれなかった・なれたが望んだほどの成功を得られなかったがゆえの、コンプレックスが強いのですが。
ここらへん、メインカルチャーとサブカルチャー、ハイカルチャーとローカルチャーの違いに興味がある人は、下記のnoteも参照してください。良くわからない人には、サブカルもオタクも似たようなものなんですが。そもそも、オタクはマニアの中のコミュニケーション能力に欠ける人間への別称であって。オタクは下手くそでも自分で何かを生み出そうとする人間であって、評論家や編集者や記者やライターなどは、作家に似ていますが違います。他人のフンドシで飯を食う商売ですから。
■竹村響氏の指摘■
さて、元竹書房の編集者である竹村響氏が、ヴィレッジヴァンガードについて、興味深い指摘をされています。ヴィレッジヴァンガードの凋落は、POSレジの導入が大きかったのではないか、という指摘です。POSレジとは〝Point of sale system〟の略で、販売物の売上を個々の単位で集計するシステムです。何がどれだけ売れたか、毎日リアルタイムで集計されるので、本の売上とかパソコン1つで把握できます。日本語では販売時点情報管理なんて呼ばれますが。出版社にとって、ありがたい存在です。
POSシステムを導入すれば、確かに売上の管理は劇的に代わります。しかし、そういう機械的な品揃えならば、Amazonのオススメで充分ですし、そのAmazonは独自のアルゴリズムがあるのか、ときどき意外なオススメが出てきて、それが嬉しい出会いになることがあるんですよね。データ大事。それは、自分の中では動きません。でも、そのデータをどう分析し生かすかには、経営哲学が必要です。それこそ、ロングテールで売れる本を見抜くのが、プロの目利きであって。
■誰がオールを持つか■
POSシステムに頼るなら、それはプロでなくてもいいわけです。昔、野村克也監督のID野球は、データの神様と呼ばれた宇佐美徹也氏の受け売りだと、批判しているライターがいましたが。宇佐美氏の言によれば、野村監督から「こういう選手やこういうシチュエーションでは、こういう傾向があるのではないか?」と聞かれて、調べてみたら確かにそういう傾向があった、というのが実際のところだったそうです。つまり、そういう勘働きが本の質を見抜くには必要。
プレイヤーであった野村監督の、理論武装として宇佐美氏の協力が有ったわけで。ヴィレッジヴァンガードも、まずは店長の目利きがあって、その補強としてPOSシステムを使うなら、有用だったでしょう。その目利きのためには、サブカルを相手にしているからサブカル目線でいいかと言えば、たぶん作家性がないと、凡庸な目利きしかできず、POSの言いなりになるしかないわけで。でも、そういう目利きは一種の才能で、需要があるからと、店舗を増やしても、そういう才能のあるしタッフは簡単に集まりません。
であるならば、自前で育てるシステムや、ノウハウが必要なんですが。日本は、そういう地道な投資を怠って、目先の利益を応用になりましたね、バブル以降。でも、昭和の残滓と平成の宿痾が、令和の世では精算される予感が。それは、ソ連の後継のロシアと中国と北朝鮮の、どれかの崩壊を含みますが。そうして日本は、もう一度人を育てるところから、始めないとダメでしょうね。明治維新で、青雲の志を抱いた若者が、坂の上の雲を目指したように。もちろん、75年ぐらいするとまた、澱が溜まって、再生が必要になるのですが。
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