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女性落語家と女性講談師の違い

◉落語通としても知られる堀井憲一郎氏による、女性講談師は多いのになぜ女性落語家は少ないのか、という現象の考察です。両方とも、琵琶法師の平家物語や太平記読みなどと同じ、日本の話芸の系譜で、近しい関係にあるんですが。なぜこんな違いが生まれたのか、これはなかなか興味深くて、一気に読んでしまいました。すぐ「ジェンダーが~! 家父長制が~! 男尊女卑が~! 男社会が~!」と言いたい人とは違う、興味深い論考です。そこもちょっと踏み込んで、自分なりの雑感を。

【なぜ「女性の落語家」は少ないのに「女性の講談師」が多いの…? その「意外な理由」】現代ビジネス

女性落語家の受賞
2021年、NHK新人落語大賞を取ったのは桂二葉であった。
初の女性落語家の受賞である。
どれほど話題になっていたのかちょっとわからないが、わりと画期的な出来事である。

ヘッダーの写真はnoteのフォトギャラリーから、釈台があるので上方落語の写真でしょうかね?

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■溺れる者は藁をも掴む■

堀井さんの結論については、上記リンク先を読んで頂くとして。絶滅の危機に至った講談界が、女性の講談師を積極的に採り入れ育成することで、復活したように。漫画の世界も、統計によっては女性漫画家が過半数を超えています。あるいは、アニメの世界も4割は女性スタッフと言われ、部署によっては女性が多い職もあるとか。逆に日本映画界は女性の映画監督が、大作に限ればわずか3%です。ハフポストはこんなトンチンカンな分析を載せてますが、原因は別でしょうに。

けっきょく、個人の才能や売上や視聴率などでドライに評価するジャンルとか、絶滅しそうになってなりふり構ってられない伝統的ジャンルとか、女性のパワーを採り入れるわけで。清少納言や紫式部の昔から、女性の才能はやはり人口の半分以上を占めるわけですから、活用しないと繁栄は難しいですよね。脚本家の方は、橋田壽賀子先生や藤本有紀さん、吉田玲子さんなど、素晴らしい才能が数多くいるのですが……。

■映画界の問題を責任転嫁■

自分が昔担当していた女性漫画家さんは、本当は映画監督になりたかったと語っておられました。映画が大好きでしたからね。でも、当時は女性監督なんてほとんどいなくて。もしなれたとしても、30歳でも早いほうだろうと。しかし漫画家なら、紙とペンとインクがあれば中学生でもプロになれて、自分の頭の中のビジョンは具現化出来る……と。そもそも漫画家って映画で言えば、監督に脚本と主演と助演、カメラマンに演出に音響に大道具小道具に衣装にと、全てを兼ねるタイプです。

これだけ女性漫画家がいて、世界に通用するヒット作も多数出していて、女性に映画監督の適性がないとは、自分は思わないんですよね。実際にアメリカや韓国だって、少しずつ改善されてるんですから。映画界には左寄りの監督が多いですが、自分たちの業界をまず改革せずに、日本の男社会が~とか、何を言ってるんだろうとしか思いませんけどね。日本文化に責任転嫁する前にまず、自分の頭の上のハエを追え、と思います。

■適性問題はあるので注意■

写真植字の世界で、写研に圧倒的なシェアで負けていたモリサワが、パソコンのフォントに賭けるしかなくてブルー・オーシャンを見つけたように。パソコンのシェアでもはどうやっても刃が立たなかったAppleが、スマートフォンという新しいジャンルでブルー・オーシャンを見つけたように。ピンチは変革のチャンスです。というか、それができない業界は、滅んでしまうのでしょうね。進化は優勝劣敗ではなく、適者生存。ある環境に適応しすぎると、環境の変化で滅びてしまうように。

しかし、同じように絶滅の危機であった戦後の上方落語が、講談のように女性落語家をそれほど取り込めなかったように。どうもジャンルによっては、女性に馴染めない分野もあるようです。「ジェンダギャップが〜」なんて単純で薄っぺらい話とは逆に、向き不向きの問題がありそう。そういえば清水ミチコさんが高田文夫さんとの対談で、実際に自分が落語を演じると、おかみさんとかがかえって生々しくなってしまうと、表現者ならではの分析をされていました。

■適性を見極める大事さ■

例えば囲碁は、プロの世界でも男女の交流戦が盛んですが、将棋のプロは極端に男性に偏っています(女流はありますが実力差が大きい)。単純にボードゲームとしては、囲碁のほうが将棋よりも盤面のマス目が多いため、難しいと言われます。奪った駒を使えるため、囲碁よりも将棋が難しいという人もいます。そこの議論は置いておいても、この差は興味深いです。上方落語が絶滅しそうになって、でも女性落語家を増やす方向にいかなかったように。技術的なものや適性などで、男女差の向き不向き・得手不得手はありそうですね。

素人の自分には、どこでも男女平等であるべきとは言えませんが。本来は社会学者が、そこらへんの頭脳労働でも男女差があるものを、研究すべきなんでしぃうけれど。日本の社会学やフェミニズムは、イデオロギーになっちゃってる人がいて、あまり期待できそうにないです。それでも、適性に極端な差がなければ、男女比はだいたい悪くても6対4ぐらいにはなるようで。自分は、小説とか脚本とか漫画は、女性が70%かそれ以上でも、不思議はないと思っています。だからこそ、この3つを併修するシステムを作りたいんですけどね。

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