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高速道路に自動運転専用レーン

◉これは、前々から主張していたので、喜ばしいニュースなのですが。こういう政策を野党の側から出せないのが、残念といえば残念ですね。来的には高速道路以外の一般車道でも、自動運転レーンを設置することによって、バスの自動運転など過疎化と人手不足の地方にも メリットがある、公共工事など経済を活性化する、大きな政策なのですから。

【高速道路に物流カートレーン 国交省、自動運転で輸送】日経新聞

国内輸送を支える中核インフラである高速道路の姿が変わる。国土交通省は高速道路に物流専用レーンを設け、荷物を自動で運べるようにする。中央分離帯や路肩を整備し自動運転カートなどで搬送することを想定している。

トラック運転手が不足する物流危機に対応する。道路上の安全確保など技術面の課題を洗い出し、整備ルートを詰める。実証実験などを経て10年後をめどに実現を目指す。

国交省は近く有識者会議を立ち上げて具...

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https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25BJ70V21C23A0000000/

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、高速道路の夜景です。神秘的ですね。

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■自動運転レーンの可能性■

今になって、ドライバー不足だ人手不足だと騒いでも、少子高齢化の時代には必然です。当然、予想されてきたことなのですから何を今更……という感じが強いです。だからこそ政治は未来を見越して、先手を打って行かないといけないわけです。毀誉褒貶はあれど、中曽根康弘大勲位は少子化と高齢化の未来を見越して、直管比率の見直しと売上税の導入という、まっとうな政策を打ち出したわけで。

コンクリートから人へ……などと、ふわふわした言葉でお花畑な政策を繰り広げ、結局は公金をチューチューするワケのわからんNPOや法人団体を増やすのではなく。流通という、この国の血管を健全に保ち、地方にも物流が健全に行われる状況を作り出す必要が、政治家にはあるわけです。そしてそれは、鉄道や バス以外の人の流れにおいても同じです。自動運転レーンという名称の方が良いのではないでしょうか?

日本自体は、自動運転技術において、アメリカのような人工知能研究も含めて、大きく出遅れてしまいましたが。それはアメリカとは 環境も違いますから、仕方がないですね。でもHONDAが、自動運転タクシーの研究に本格的に参入し、遅ればせながらも本腰を入れ始めたので。方向性が決まればいろんな部分で、自動運転車を前提とした社会の、インフラ整備が始まるような気がします。

■政治家はビジョンを示す■

関西出張の際、ある時期まで深夜の高速バスを利用していましたが。東京も京都駅も、こんなに膨大な数の高速バスがあったのかと、驚くほどです。極端な話、あれが全部、自動運転になれば、運転手不足はだいぶ緩和されるな……と思った次第です。と言うか、バス路線の大きな支出部分は、運転手の人件費ですから。それでウチの田舎のバス会社は撤退してしまいましたし。

全国にはそんなバス路線は多いでしょうから。維新の会でも国民民主党でもいいんですが、そういう部分で大きなビジョンを示せないものか? 特に維新の会は、関西のローカル政党から全国区の政党に脱却しようと思ったら、関西以外の日本各地で、経済を活性化する政策が必要不可欠。自分ならば新大阪から和歌山市を経て四国を縦断し、大分に至る四国新幹線を提案するでしょうし、自動運転レーンの設置を掲げるでしょう。

新幹線で太い動脈を作り、高速道路に自動運転レーンを設置して物流の細やかな動脈を作り、各地の主要道路に自動運転レーンを設置する。この三段構えが重要でしょう。これで地方の土木建築業も、息を吹き返せるでしょうし。治山治水と道路工事は、ある意味で土建屋の大きな収入源。うちの従兄弟の土建屋は、民主党政権のアホな政策がとどめになって、潰れてしまいましたが。昭和の時代のばらまきは批判すべきですが。

■昭和の幻想が壊れる令和■

昭和の時代は、車を持つこと自体がステータスでした。もちろん それは将来的にも続くのでしょうけれど、猫も杓子も自動車を所有する時代では、なくなっていくでしょう。それは、一戸建て幻想にしても、同じです。例えば地方などは、東京にあるような大型の高層マンション 1つあれば、ちょっとした市町村は全部まとめられちゃうんですよね。そうすると、状況は大きく変わりますね。

それこそ、藤子不二雄先生が不気味な存在として描いた団地を、逆に地方に作ってしまって。病院もショッピングモールも映画館も全部ある、集約的な都市を作ってしまえば、医療にしても流通にしても、効率は一気によくなるんですよね。一戸建て幻想というのも、フランスのパリのように 10代前から借家住まいというのが当たり前になれば、気にすることではなくなってしまうんでしょうね。

そうやって、昭和の時代の経済を支えていた幻想は、インターネットの登場によって一旦は破壊され、その上で 合理的なものに 組み替えられていくのでしょう。もちろん、その合理性に組み込まれない部分は、常に生まれるにしても。宇部の世に親の介護は子供がするのではなく、親は将来に備えてお金を貯めて老人ホームに行くのが当たり前。そういう風に変わっていくと 自分は思っています。

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