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根本陸夫の戦略

◉根本陸夫──広島カープ・西武ライオンズ・福岡ダイエーホークスを強いチームに育て上げた、豪腕の人。寝業師とも呼ばれ、強引な選手獲得方法に「裏口入学」と批判されることもありましたが。個人的には、組織作りという点で、非常に興味深い人物なのは、間違いないでしょう。福岡が第二の故郷でもある自分にとって根本さんは、弱かったホークスを球界の盟主と呼ばれるほどの強豪チームに育ててくれた、恩人でもあります。

【根本陸夫が画策したトレードの産物。西武・伊東勤に「野村イズム」が注入された】スポルティーバ

 1981年12月4日、西武と南海(現・ソフトバンク)との間で2対2の交換トレードが成立した。西武は投手の山下律夫、外野手の山村義則を放出し、南海の5番打者だった片平晋作、ベテラン捕手の黒田正宏を獲得。同年限りで西武監督を退任してフロント入り、本腰を入れてチーム編成に取り組む管理部長の根本陸夫は、両選手への期待を込めて言った。
「黒田はインサイドワークもよく、若手捕手陣の刺激になってくれるだろう。片平も代打の切り札として活躍してほしい」
 じつはこのトレードが成立する直前、黒田のもとに根本から電話が入っていた。南海入団3年目、同じ法政大の先輩から根本を紹介されて以来、接点はあったが、突然のことに驚くばかりだった。いったい、何のための連絡だったのか──。"根本信者"の黒田に聞く。

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■ラセターの温故知新■

読み応えのある記事なので、ぜひとも上記リンク先の全文を読んでいただきたいのですが。この記事を読んでまっさきに思いだしたのが、ディズニー社を立て直したジョン・ラセターのことです。初のフルCGアニメーション『トイ・ストーリー』の監督であり、PIXARアニメーションスタジオの創業者として有名なラセターですが。彼の本領はアニメーション制作だけでなく、実は組織作りにもあるんですよね。

彼自身がCGアニメーションという新たな時代を築いたにもかかわらず、PIXARとの株式交換によってディズニーに幹部として迎えられたときに、真っ先にやったのがセルアニメのベテランを呼び戻すことだったのです。ディズニー社のマイケル・アイズナー社長は、これからはCGアニメの時代だと、ベテランのセルアニメの職人をクビにしちゃったんですね。ところがラセターは、CGアニメしか知らない若いアニメーターたちに、セルアニメの技術を伝えるべく、呼び戻したわけです。

こうして闘魂伝承した若手スタッフたちが作ったのが、『プリンセスと魔法のキス』という、セルアニメの傑作。温故知新──という言葉がアメリカにあるかは知りませんが、まさに温故知新。ラセターは若手を『トイ・ストーリー3』の監督に抜擢したり、実績のある監督たちに共同作業で『ズートピア』を作らせたりと、才能におんぶに抱っこの作品作りからの脱却を意識しています。ラセターもセクハラで組織を追われ、毀誉褒貶ありましたが。功績は大。

■ベテランの適材適所■

根本さんがやったのも、西武ライオンズという新しいチーム作りにベテランの技術や経験を注入するという、方法論。ライオンズでは田淵幸一選手を阪神タイガースからトレードで獲得し、話題作りのスキに新人育成に着手します。実はコレ、福岡ダイエーホークス時代にもやっていますね。当時のエース級の村田投手とリードオフマンの佐々木誠選手などを出してまで、秋山幸二選手らを獲得しました。

もちろん熊本県出身で、九州全域を対象としていたホークスとしては、喉から手が出るほどほしい地元のスター選手。二枚目でしたし、熊本の名門・八代高校に進学するほど、地頭の良さも球界トップクラス。引退後はコーチや監督として、期待されていましたし。さらに秋山さんは、選手として後輩の手本になる人物でしたから。超人揃いの球界でも圧倒的な身体能力を持ちながら、豊富な練習量はプロでも驚くほど。

秋山さんを見て、若手の小久保・松中・城島・井口・柴原・川崎ら、次世代を担う選手たちが「一流プロとはコレほどの節制と練習量なのか……」と、手本になったわけで。新興組織はともするとベテランを冷遇しがちですが、ベテランには経験があるわけで。そこを次世代に伝えていく。秋山さんは引退後、二軍監督から一軍コーチを経て、監督にという理想的な禅譲も体現しましたしね。ぜひともGMにもなってほしいですm(_ _)m

■トーム強化の三本柱+α■

その根本さんのチーム作り・チーム強化は、まず自分が監督として現場の状況と問題点を、把握してからGM的に編成を動かす。そしてチーム編成は三本柱だと、自身で語っておられましたね。
 ・ドラフト
 ・トレード
 ・外国人選手

ドラフトは基本は地元の有力選手優先で、どうしても欲しい選手は競合覚悟で獲りに行く、というもの。ギャンブルですが、当たれば清原和博選手とか、入団にこぎつけられるわけで。西武ライオンズ全盛時代は、やはり華があった清原選手獲得があってこそ。ホークスもくじ引きでの勝ち負けはありますが、根本イズムが浸透しています。

トレードによる血の入れ替えは、適材適所という視点が必要ですし、同時に他チームの選手の動向にも目を光らせ、燻ってる選手や伸び悩んでる選手の、可能性を見出す必要があるわけで。外国人選手の場合も、広島はドミニカに野球学校を作り、ホークスはキューバとの太いパイプ作りに成功しましたが。社外の協力企業の存在も大事。コレに加えて、ベテランを獲得してチームの土台となる知識や考え方を注入する。

そして有望な選手と、指導者として適性がある選手を分けて、指導者向きの選手はロングテイルで育てる。組織を作るときに、コレは需要ですね。後継者育成に失敗するワンマン企業の多いこと。例えばホリエモン、例えば西村博之氏、例えばドワンゴ川上量生氏など、新興企業で一時代を築いたけれど、その後に失速や衰退した企業の場合、メンターと呼べる先輩やベテランが組織に何人いたか? 寡聞にして聞きません。

■ジョブズとノムさん■

スティーブ・ジョブズはアップルコンピュータを立ち上げましたが、自分の経営能力の未熟さを自覚して、ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーを引き抜くのですが。結果的にこのスカリーに、ジョブズはAppleを追放されてしまいます。それ自体は挫折経験として、ジョブズはNeXT社を立ち上げ、そこでのさらなる試行錯誤が、後のApple復帰に役立ったわけで。禍福は糾える縄の如し。

でもそういう経験を、下の者に伝えるべき。これは、南海ホークスを追放され、ロッテオリオンズから西武ライオンズに移籍した野村克也さんも同じ。西武ライオンズで引退を決めたときも、自分の打順で代打を出されて、案の定その選手が凡打で怒ったそうですが。自分が打っても同じ結果だろうとハタと思い当たったとか。当時の監督であった根本さんの配慮に後に気づいて、監督としての選手との接し方で学んだ部分があったそうですし。

その後、ノムさんはながらく現場復帰は出来ませんでしたが、解説者としての経験が、野球を外部から見る経験になりましたし。アマチュア球界とのパイプもでき。ヤクルトスワローズの監督になってからそれらの経験が活きました。ヤクルトでは八重樫さんらベテランを、上手く活かしました。野村再生工場と言われるほど、終わったと思われてた選手を復活させ。東北楽天ゴールデンイーグルスでは、山崎武選手を再生させました。

■伝統を作るという意味■

そう言えば、ノムさんが古田敦也捕手という後継者を育てていたとき、首位打者も獲得して人気選手になった愛弟子に、西武ライオンズの伊東勤捕手と比較して「オマエの配球は読めるが伊東のは読めない」と、愛弟子を叱責したとか。伊東捕手はノムさんの方法論を直接・間接に吸収し、さらにノムさんが唯一認めるリードのライバルである森祇晶監督からも、配球論を注入されているのですから。

プロの目から見たら伊東勤捕手のほうが一枚上なんですよね。その意味では、自分は城島捕手にノムさんの配球論を注入し、それをホークスにも残してほしかったですね。もちろん、工藤公康監督の配球論や、達川さんの配球論とかも素晴らしいのでしょうけれども、やはり南海ホークスの偉大な先輩の配球論を、ホークスの柱に残してほしかったですね。工藤公康監督の配球論も、ノムさんの影響を強く受けてるそうですが。

南海とは確執が癒えませんでしたが、晩年は孫正義オーナーの祝電という配慮に感激し、ホークス関係のイベントにもよく出席されていましたからね。新しいアイデアは大事。それを方法論として、伝統までに作るのは大変ですから。自分が保守派を自称するのは、そういう伝統の構築と伝承と刷新の大事さを、保守は大切にするからという部分があります。構築したモノに、新しい血(知)を入れるのも大事ですね。野球には学ぶべき点が多いです。

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