20歳の野球選手に教わったプロフェッショナル
スポーツ記者1年目、その日は先輩記者と一緒にプロ野球の試合を取材していた。
場所は東京ドーム。試合開始までまだ数時間ある。
野球ファンは知っていると思うが、選手はこの試合前の時間に練習を行う。また、テレビやメディアが取材を行うのもこの時間が多い。
ベンチの中では報道陣に囲まれた監督が昨日の敗戦を振り返り、今日の試合の狙いをもったいぶりながら明かす。
一方、練習を見つめているテレビ局の女子アナは知り合いの選手と目が合ったのだろうか、こっそりと笑顔を見せている。過去にインタビューしたのか、西麻布で一夜を共にしたのか、その関係は僕の知るところではない。
グラウンドは聖域である。記者だろうと女子アナだろうと、ユニフォーム姿ではない者は一定の距離を保つ。
しかし、スーツ姿の男が何人か堂々とグラウンドにいる。練習中の選手とも親しげに話し込んでいる。
そう、球団OBだ。
練習前、OBは現役選手に何を伝授しているのか
プロ野球の練習を見ていると、かなりの確率で往年の名選手に会える。テレビやラジオの解説者だったり、球場の出入りも"顔パス"の球団のレジェンドだったりする。後者の場合は近所の公園を散歩するようなノリでグラウンドに姿を現す(ように見える)。
そして、これまたよくある光景だが、彼らは現役選手に向かって色々とアドバイスしている。
打撃練習の一部始終をチェックされた現役選手はヘルメットを頭から外し、直立の姿勢でその話に耳を傾ける。
輝かしい実績を球史に刻んだレジェンドOBだ。そのアドバイスは実に的確で有益なのだろう。
いや、待て。
言う通りにやれば必ずヒットが打てる、三振が取れる。プロスポーツにそんな“答え”はあるだろうか。当然、NOだ。
僕は現役選手がどんな気持ちでアドバイスを聞いているのかを知りたくなった。
プロ選手の「アドバイス」の受け取り方
唯一知り合いだった選手を捕まえて直接聞いてみた。名前は明かせないが、20歳ほどの若手の部類に入る選手だ。
「そりゃね、色んな人が色んなことを言ってきますよ。Aさんはもっと足を動かしてタイミングを取れって言うし、Bさんは足を動かさずに球を引き付けろって言う(笑)」
「でもね、色々言ってくれてるうちがありがたいと思って、あとは自分で決めるしかないんスよ」
プロの答えだった。
20歳そこそこの若者とはいえ、“地元じゃ負け知らず”でプロになった彼だ。期待と応援を履き違えた大人がああだこうだ言ってくることなんて、これまでも日常茶飯事だっただろう。
地元には「アイツに野球を教えたのは俺」的なことを言うオヤジもきっとたくさんいる。
自分の価値は自分で示すしかないのがプロの世界。誰かのアドバイス通りにプレイして結果が出なかった時に「あなたの言う通りにやったけど、全然打てなかった」なんて言い訳は通用しない。
ありがたいアドバイスをくれるレジェンドOBも“明日のメシ”を保証してくれるわけではない。結果が出ない時は、自分のクビが飛ぶだけだ。
AさんやBさんのアドバイスを無視して、Cという新しいやり方で結果を残したって、それで正しい。「結果でねじ伏せる」というやつだ。
そこまでわかった上で彼は「アドバイスをいただけるのはありがたい」と言い切っていた。
一般社会も…
一般の会社員の場合はどうだろう。
数十年前なら「上司や先輩の言葉には素直に従うのが会社員ってもんだろう」が常識だったと思う。そうしておいた方が、会社にいられるし出世競争にも有利だ。上司に歯向かった結果、左遷でもさせられたら出世なんてもう、サヨウナラ。
年功序列や終身雇用といった日本型雇用を、あえてプロ野球の世界で例えるならば、「監督やコーチの言う通りにしとけ。失敗してもお前の評価は何も変わらないし、明日も変わらず打席に立ち続けられるから」と言われているようなものだ。
一転して最近は、ジョブ型雇用や成果主義といった言葉を耳にすることが増えた。転職も当たり前になり、自分のキャリアは自分で切り開く時代。「定年まで会社に守ってもらえる」と考える社会人は少なくなっただろう。
一般社会もプロの世界に近づいていると感じる。
ふと、プロの厳しさを教えてくれたあの選手のことを思い出した。名前を調べてみたが、どうやら数年前に現役を引退していたようだ。