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縄文家屋は茅葺きか土屋根か

◉縄文時代の住居(竪穴式住居)の屋根は、実は想像で復元されていて、茅葺きで再現されるのが一般的ですが。実際は土屋根ではないか、という記事が産経新聞にありました。ううむ、言われてみたらそうなのかな……と言う気がしますね。掘っ立て柱の穴とかは残りますが、屋根がどうなっていたかは、なかなかわかりませんからね。でも、当時の技術や素材を考えれば、実はソッチのほうが合理的かも……です。

【縄文人の家、「茅葺き」から「土屋根」へ 研究30年の成果】産経新聞

 かつて近世の古民家のような茅葺きに復元された縄文時代の住居が、土をかぶせた屋根に変わってきた。発掘調査に基づいており、新たに復元整備される遺跡では土屋根が主流になるとみられる。31日まで開催中のユネスコ世界遺産委員会では、土屋根が複数箇所で見られる「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録される見通し。縄文集落の景観イメージは大きく変わりそうだ。

トップ写真は、三内丸山遺跡の復元された竪穴式住居から。

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■茅葺屋根は一般的?■

茅葺屋根の家といえば、ウチの田舎では自民党副総裁であった二階堂進氏の自宅(二階堂家住宅)が茅葺屋根で、国の重要文化財でした。何度か見学にも行きましたが。このため、この屋根の吹き替えに使われる茅の刈り場が、実家の近所にもありましたね。でも茅って、田舎だからってそんなにたくさん自生するものでもないです。うちの田舎は鹿屋市といいますが、これは熊襲の首長・鹿文(かや)の名前が由来とされますが。

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では、鹿文の名前の由来は何かということになりますが、多く自生していた茅(ちがや)が転訛したという説があります。他にも、鹿児島県の地名同様、鹿が多く住んでたので鹿の野という説もあります。しかし今では茅も鹿も、よほどの僻地に行かないと見かけないですからね。茅ってそんなに多いんかいな、というイメージはあります。むしろ、稲作が普及して以降は、田舎でも藁葺き屋根のほうが一般的ではないでしょうか? そもそも、鎌どころか金属器も普及してない縄文時代、茅を刈るのも大変。

■アメリカの土屋根■

さて、土屋根と言えば、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズで有名な西部開拓時代。どうも自分らの世代は、小さな家=丸太小屋のイメージが有るのですが、実際はアメリカの西部の草原地帯は木材がなく、遠方の森林地帯から輸入しないといけないんだそうで。なので、ブロック状の草土を積み上げた家=横穴小屋(dugout)が、実は一般的なんだそうです。さすがに日本の20倍以上の国土面積を誇る連邦国家、州によって全く文化や生活が違うんですねぇ。

ローラ・インガルス・ワイルダーは、日本だとぎりぎり江戸時代であった1867年2月7日に生まれて、太平洋戦争も終わって岸信介内閣時代の1957年2月10日まで存命だった、長寿の人物です。享年90歳。つまり、彼女が少女だった明治時代前期ぐらいまで、アメリカでも土屋根っぽい建物は普通にあったようで。こちらのサイトが非常に興味深い情報満載ですので、ぜひどうぞ。ドラマや原作のイメージとも、ずいぶん違っていて驚きました。

■人類の歴史は屋根の工夫史?■

そういえば、屋根と言えば南米はインカ帝国のマチュ・ピチュ遺跡とか、あるいは中等の古代遺跡。両方とも石積みの四角い建物が多いんですが、屋根部分はどうなっていたのか、よくわかりませんね。ポッカリと穴が空いていて、青空天井。まぁ、中東は乾燥しているので、普通に布を貼っていたのだろうと思いますが。マチュ・ピチュ遺跡の方はどうなっているんだろうと思ったら、見事に茅葺屋根風の復元が、見つかりました。

植生が豊かな地域だと、イネ科の草で屋根をふくのがやはり一般的なんですねぇ。そういえば、北極のイヌイットなどは、イグルーという雪の建物を作りますが。これも、子供の頃は最後に天井に蓋をする行程が、驚きでした。人類の建物史というのは、天井をどうするかの工夫の歴史なんですねぇ。それぞれの地域にあった建物があり、建材があり、工夫がある。『ドラゴン、家を買う』もその視点で、興味深かったです。こういう話題は、また掘りたいです。

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