ラフに生きる
自己肯定感、という言葉に踊らされなくなったのはいつからだろう。
去年くらいまで「自分を受け入れる」とか「ありのまま生きる」とかそういうことを頑張ってきて、自己肯定感にも人並みに関心があった。
それが今当たり前にできるようになって、自己肯定感って何だったっけなぁ、と思うくらいには執着しないでいられている。
今の私は、自分のことが「フツーに好き」だ。
私なりにできることがたくさんあるし、外見も悪くない。趣味もあるし友達もいるしパートナーもいる。
私の人生を生きていくための装備が足りてる感じ。
と言っても別に無敵になったわけじゃない。
できないこともやりたくないこともいっぱいある。
ただそういうところは「えへへ、すんませーん」と言いながら周りに頼って乗り切っている。
そして、そんなできない自分さえも悪くない、愛嬌があってええじゃろ?なんて思っている。
こういうことを自己肯定感と呼ぶんだっけ。
だとしたら今の私の自己肯定感は高い。
昔のことを思い出してみようか。
以前の私はいつも何か足りないと思っていた。
それは知識だったり経験だったりお金だったりしたけど、「足りないから人並みになれるように頑張らなくちゃ」と思っていた。
いつもどこか焦っていたし、「できない」と思っていたからずっと自信がなかった。
今の私は、何かが上手くいかなくても「私にはできない」とは思わないし、周りが優秀でも無理な頑張りで追いつこうとはしない。
物事にはタイミングがあるし、悪いことも長い目で見たらひっくり返ることがある。
周りが優秀?それはいいことだ。
できないことはガンガン頼ろうぜ。
頼りすぎるのがなんかなぁ…と思うなら、自分にできて彼らにできないことがあれば自分がやればいいし、なければ思いっきり笑顔でお礼を言えばいい。それでWin-Winだ。
昔と今を比べてみて違うのは「足りている」と思っているかどうかと、「周りに頼る」ができるようになったからかも。
もともと完璧主義だったから、何でもかんでも自分でできるようにならなきゃ!と思っていた。
できることに対しては「できて当然」、できないことは教えを乞うたりマネしたりしてできるようにならなければならないと考えていた。
なんて厳しいんだ。
でもそうしないと生きていけない!って思ってたからしょうがないよね。
だいぶ視野が狭いけど、若いな〜って感じ🤣
今はね、できることは「できるよ〜、すごい?へへ〜」って思ってるし、できないことはやってみて「無理!分からん!」って早めにギブアップして、それができる人に「これできるんですか!すげー!」って言ってお願いする。丸投げとも言う。
書いてみてめっちゃ子どもみたいって思うけど、変に意地張るよりも素直な方がよくない?
できないことは意地張ってやってもいいことないし、逆にできることでもマウント取り合うのは時間と労力の無駄なので、素直に生きるのだ。
ラクに、ラフにいられるのが一番いい。
眠くなっちゃったから続きはまた今度。
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