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【日記2022/7/23】えぐい展開をえがいてんかい


・2900字弱


・少しずつ、少しずつ断捨離をしている


・今日はバッグがいっぱいになるくらいの本を持って、処分するつもりでブックオフに向かった……そのはずなのだが……







・帰りにはもっとたくさんの本でカバンがいっぱいであった。



・トホホ~これじゃ無限ループになっちゃって本の断捨離ができないよォ~……


・私は短編完結系の連載漫画を後ろの巻から順番に読むのが好きです。

・あと、今より昔の漫画の方が創作的というか、創作の王道やセオリーが現代より少ない中で面白い話/面白い絵柄を開拓しようと模索している感があって好きななんだよね。



・妖怪大戦争ガーディアンズ1 感想

→実写映画は現実で撮影されているので、非現実的なキャラクターが非現実的な世界で非現実的なバトルアクションをしているだけで「非現実的ですげー!」という面白味になるが、漫画という媒体では「現実」を描いても「非現実」を描いても描くコストは大体同じなので非現実がありふれており、「非現実的ですげー!」とはあまりならない気がする。

 例えば漫画で主人公が「幽霊と会話できた! すげー!」と感動するシーンを描いた際、その主人公の感動度と読者の感動度にはずれがあると思う。主人公はすごい感動しているのだろうが、読者にとっては漫画の中でどんなフィクションが発生しても、もう見慣れているのだ。

 そのため、「幽霊と喋れた! すげー!」を描きたかったら、事前に「幽霊と喋るのは非現実的なのである」という認識を事前に読者の無意識に念入りに刷り込む工夫をするなり、あるいはそもそも幽霊と喋れたこと自体は面白味ではないと割り切って「幽霊と喋れたのね、ハイハイじゃあ本筋に入ろうか」といった態度でしれっと次の面白味を描写する準備に移った方がよいと思う。

 でも、ま、上記のような感想はあらゆる漫画に読み飽きている私だから抱く感想なのであって、幼少期の私なら非現実的な漫画というのは非現実的であるというだけで面白く感じるのかもしれない。対象年齢を下げるというのもひとつの手段かもしれない。

 妖怪大戦争ガーディアンズへの感想を全然言っていないな。なんだこの日記?

 妖怪大戦争ガーディアンズ、そもそもタイトルに違和感があった。内容も、ぬらりひょんが「ハリウッドだってゾンビ映画大好きじゃないか!」と言っていたり、とある千年前の侍が「妖怪ハンター」と呼ばれていたり、世界各国のモンスターが一同に会して日本語で議論をするサミットが開かれていたり、なんか解釈違いが多くてnot for meであった。近代的すぎる……


・ルパン三世 感想

 面白すぎるとしか言いようがない。私の尊敬している漫画家ランキング
1位は依然としてモンキーパンチ先生である……


・浦安鉄筋家族 感想

 登場人物がめちゃめちゃ多いので、私のように一巻から順番に読んでるわけではない人間からすると「このキャラ誰?」となるのだけど、その「このキャラ誰?」という違和感を吹き飛ばすほど強烈なキャラが濃いギャグをかましてくるので、知らんキャラでも一発で覚えるわな。

 あと、私は「勢いでゴリ押すタイプの笑い」って基本的に面白くないと思っているのだけど、浦安鉄筋家族はその私の心のコンクリート壁を突き破ってくるほどのごり押しの笑いがあるので好きだ。



・中間管理職トネガワ 感想

 電子版を読んでいるのだけど、面白いにもほどがある……

 一話完結の連載漫画って、毎回違うことをやってるけど、読んでると作者ごとに一本筋の通った作話のセオリーが見えてくるんだよね。

 例えばあさりちゃんなら「本来嬉しいはずのものが今回は嬉しくない」「本来嬉しくないはずのものが今回は嬉しい」という意外性に着地するためにストーリーを作ってるように見える(もちろん例外の回も多々あるが)。

 ルパン三世なら「読者を騙すような叙述トリックの入った、二週目を読みたくなるような大ゴマオチ」に着地するためにストーリーを作っているように見える(もちろん例外の回も多々あるが)。

 こち亀なら「小規模だった趣味や仕事がだんだんと取り返しのつかないほど大規模になる」というインフレ感を演出しようという床が見える(もちろん例外の回も多々あるが)。

 中間管理職トネガワの場合でいうと、「キャラに問題を押し付けてみて、それをどう捌くか反応を伺いたい」という作話の床が見える。もちろん色々な回があるのでその作品を完璧に抽象化して説明することはできないのだけどね。カイジやアカギもそんな感じだったと思う。

 またアカギの話していい?

 「いいよ」ありがと

 麻雀漫画って作者が都合のいい牌をツモらせ続ければ好転/悪変/ピンチ/チャンスが自在に変えられてしまうので、どっちが勝つかドキドキハラハラしないし、面白くしようがなくないか? と読む前は思っていた。しかしふたを開けたら、作者の描きたい面白味は、勝敗よりも「キャラの取捨選択判断」であった。どの牌を切ればよいのか丁度迷うラインの、キャラによって取捨選択が変わってくるような「漫画的に都合のよい牌」ばかりツモるのだけど、読者はそれが見たくて読んでいるのでよいのだ。アカギという漫画、アカギと鷲巣を好きになるための漫画みたいな所がある。

 キャラを描くためには、そのキャラの能動的な行動よりも受動的な行動に注力して描いた方が個性が出るのかもしれない。

 例えば王道的な、勇者が魔王を倒す勧善懲悪バトル漫画を描く場合、勇者が能動的に仲間を作り、作戦を立て、鍛えながら旅をする描写に力を入れても、それによって読者から勇者への好感度や感情移入度が上がることはそこまでないかもしれないような気がしている。キャラが能動的に動くたびに感情移入しづらくかもしれない。

 そうではなくて、「1人の王と100頭の家畜、どちらかを捨てなければいけないが、勇者ならどうする」とか「悪を裁くためにはとある法律を破らないといけないけど、勇者ならどうする」といった選択を押し付けられる勇者を描いた方が感情移入しやすいしキャラを魅力的に描けるような気がしている。

 めちゃめちゃ回り道なアプローチになったけど、要はトネガワはまさにそんな感じの漫画である。作者は主人公トネガワをいろんな角度からつっついてみてどんな対応をするのかを伺い続けているような漫画という印象。

 特に1~3巻が面白いような気がする。スピンオフ元であるカイジを読んで頂けたらわかると思うけど、トネガワは端的に言ってデスゲーム主催者であり、かなり仕事ができて計算高くて他人の心理が読める人間だ。デスゲーム運営がデスゲームの企画書を持ち寄って吟味し、業者に発注したり場所を借りてセッティングする仕事を覗き見れるのがまず面白いし、そこで生じる上司や部下とのすれ違いをなくそうとトネガワが奮闘し、成功したり失敗したりしてるのも面白い。あのよくできたデスゲームの楽屋裏ではこんなゴタゴタが発生していたんだなと思うと面白い。

 悪魔的事業融資相談会あくまてきじぎょうゆうしそうだんかい……!



・おわり

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