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【1/12】感傷が尾を引いテールよ

・6300字強。


・映画感想。

・今回は自分の脳内を整理するための覚書的な日記になる。色々な映画に対する懐疑的な意見ばかり書いているので、読んだら不快な気持ちになるかもしれないけど、そこはご自衛頂きたい。ネタバレもガッツリする。

・私は映画を減点法式でしか批評していないかもしれない。私がとある映画を批判しているように傍から見えても、内心では70点だったりする。

(まあ私は世の映画の8割がたを面白くないと思っているのだけど)


・ミッチェル家とマシンの反乱

→面白かった。絵が上手い…全体的にふざけてて自由でよかった。CGアニメだけど、ノリがカートゥーンだった。ネット中毒者への風刺もきいていた。

家族のウザさあるあると、ヲタクやギークあるある、ネット界隈あるある、懐かし&ハイテク家電あるあるが詰まってて本当に最高面白いかった。

 ↑Twitterでこういう感想を書いている方がいたけど、完全同意。私の感想を肩代わりしてくれてありがとう。

 殺人ルンバが自滅したシーンはマジで救急車呼びたくなるくらい笑った。

 めちゃめちゃご都合主義でお話がグイグイ進んでいくのだけど、あるあるが詰まっていたのでそこには確かに現実味があった。共感性よな。

 シナリオ自体は普通の三幕構成なんだけど、個々のギャグが面白かった。どこを切り抜いてTwitterに載せてもバズりそうな、情報量の多い映画だった。

 75点。


・インクレディブルファミリー

→「ヒーロー禁止法の改正」が物語の主軸ではあるんだけど、それはテーマである「家族間のごたごた」を引き立たせるためのものなのだろうな。ヒーロー活動のため単身赴任するママ、それを羨みながら慣れない子育てに苦心するパパ、ヒーロー活動をしてみたい子供とそれを止めたい両親。それらのごたごたがリアルに描写されていてよかった。

 情報量が多くて2時間退屈せず、それでいて子供でも理解できそうなシンプルな利害関係だったので、さすがピクサーだなと思った。

 個人的にはシナリオというのは「物語の主軸に関わってこないカットとかセリフとかキャラクター」というのが少なければ少ないほど美しいと思うんだけど、インクレディブル・ファミリーに関してはマジで省いていいカットとかセリフとかキャラが一切なくて、洗練されたシナリオだなあと思った。

 主人公一家のスーツが赤統一なのも映像的な意味があるのかもなと思った。赤い色って背景にほとんど出てこないから、主人公一家だけはカットが変わったとき画面のどこに映ってても目で追いやすいんだよね。

 あとバトルシーンで金管楽器を爆音で吹いてくれるのが良かった。

 アニメ「ルパン三世」でも、緊張するはずの逃亡シーンでよく軽快なトランペットが流れていたりするし、アニメ「パンチライン」でもバトルシーンとかではダブステップが流れているのでよかった。バトルシーンで曲を爆音で流すために敢えて会話量を極端に減らしている作品、良…

 そういうのをいっぱい教えてくれ…


・カイジ 人生逆転ゲーム

→序盤のテンポが非常によく、冒頭9分でもう船に乗り込んでたのはよかった…けど、綱渡りとかEカードのシーンをドラマチックに描くのに時間を割きすぎているのはなんかな…と思った。

 例えば、何らかの映画において何らかのバトルが10分程度発生したとき、バトル勝利後に「あそこでお前がこうしていたから俺は勝ったのさ」「これで…俺はやっと一つ前に進める」「死んだあいつの仇はとったぞ」みたいな反省シーンというか、「勝ったあとの解説、感傷、友情を反芻するシーン」が20分も挟まったら、なんだかなと思うだろう。刺身より菊の方が多かったらダメだよね、カレーより福神漬けの方が多かったらダメだよね。という話である。

 もっと抽象的に言うなら、「作者が頭をひねって考えた”創作的な面白味のある描写”の情報量よりも、そのおまけの情報量の方が上回ってはいけない」ということだ(なんか上手く言語化できなかったけど伝わっておいてくれ)。

 カイジはそれが多かった。ギャンブル後の解説、反芻、感傷、友情の描写がギャンブルという創作的な面白味そのものの描写より多かったのは不服。

 まあカイジの鑑賞者はみんな藤原竜也さんの迫真の演技を見に来ているのであって、私が冗長的だと思っているシーンこそが本来は見どころなのだろうけど。

 70点。


・ジャングルブック2

→ゲオで字幕版を借りて観たのだけど、ここまでの駄作とは思わなかった。前作が良すぎただけか。Amazonで星4.5と評価されているのには驚いた。

 テーマとしては「ジャングルは果たして人間にとって怖い所なのか」「主人公モーグリはジャングルと村、どちらを選ぶのか」あたりだったかもしれないけど、あんまりよくわからなかった。起承転結自体はしっかりとしているけど、起承転結があるから何?といった感じ。

 モーグリがふわっとした意志でジャングルに帰り、それを追って友人2人もジャングルに入り、多少のバトルが発生したあと、ふわっとした意志で3人でジャングルに帰る。別にジャングルと村の間を遮蔽する壁やしきたりがあるわけでもなく、出入りしようと思ったらいつでも出入りできる。

 じゃあ前作は何等かのテーマやメッセージ性はあったのかというとそうでもない。ジャングルで育った人間モーグリが人間の村に行こうとする途中で様々なアクシデントに見舞われるだけの話だ。でも、確実に「創作的な面白味」があったし、情報量が濃かった。

 2はというと、ファンサービスとして前作のキャラをたくさん出し、取ってつけたように歌劇をちょくちょく挟んだが、「省いてもお話が成り立つキャラ」「省いてもお話が成り立つシーン」ばかりでお話が構成されていた。創作的な面白味とか情報量が薄い。

 25点。


・アナ雪

→万人ウケする作品だと思って見たけど、私には刺さらなかった。舞台装置くんの機嫌次第でお話がどうにでもなるのが好きじゃないのかもしれない。

 あらすじは、エルサの能力の暴走で王国が大雪に見舞われ、国の存亡が危ういという状況下で、隣国の王子ハンスがアナとエルサを殺して王権を乗っ取ろうとし、それを愛の力でなんとか防御したアナとエルサが「真実の愛を持って心を閉ざさなければこの氷の能力も制御できるじゃん」と気づいて王国の雪はなくなりましたとさ。というお話なのだけど、ここで個人的に重要だと思っているのが「王子ハンスは作中では悪役扱いされているけど、ハンスがいなければ真実の愛とやらにも気づかず、王国は大雪で滅んでいた」ということだ。そこがどうにも釈然としない。

 ハンスというのは本当にどうしようもなく利己的な悪人である事実自体に変わりはないのだけど、ハンスがいなければ王国が滅んでいたなら、少しくらい感謝されてもいいものではないのか?

 なんなら主人公エルサさえお話のどこかで自殺なり他殺なりで死んでいれば雪は発生しなかったのだ。「悪気はないけどお話を無自覚にバッドエンドに導いていたエルサ」が正義で、「悪気はあるけどお話を無自覚にハッピーエンドに導いていたハンス」が悪とされている事実はどうにも釈然としない。悪気如何で善悪を決めてよいのか…?

 仮にハンスが「王権を奪い取ろう」という悪意を持たず、単純に「大雪の元凶を殺して国を救おう」と思ってエルサを殺していればそれはハンスが英雄扱いされていたのでは?

 もう少し気持ちよく善悪の分かれたお話にできなかったものか…?

(観賞してから感想文を書くまでに時間が経っているので、多少頓珍漢なことを言っていたらごめんね)

 40点。


・アナ雪2

→私は、アニメ、3DCGアニメ、実写問わず「歌劇」が挟まると喜ぶのだけど、アナ雪2の歌劇は微妙だった。

 そういえば私の好きな歌劇ってみんな、「その歌劇シーンを省いたらシナリオが成り立たない」という歌劇かもしれない。レゴムービー2、ジャングルブック、おしゃれキャット等…

 いや、例を挙げてみたらそうでもない気がしてきたな。まあ何故かわからないけどアナ雪2の歌劇はキャラが自分の心情をつらつらと喋りながら森を走り回っているのが描写されているだけで、間延びを感じた。冗長的。tiktokの住民が好きそうな映画。

 しかし私はナイトメアビフォアクリスマスという作品内の、キャラが心情をつらつらと喋りながら歩いてるだけの歌劇は全部好きなんだよな。何が違うんだろう。

 あとやはりこちらも前作と同じく、舞台装置くんの機嫌次第でどうにでもなるお話だったのが微妙だった。

 35点。


 私は全ての映画に対して、本格ミステリの常識である「フェアプレイ」という原則と同じものを求めているかもしれないと思った。

 本格ミステリ作品において、探偵役が「これで判断材料は出揃った」的な発言をしたら、その時点で読者にも推理可能なほど全ての判断材料が読者にも与えられていなければフェアでない、という考え方がフェアプレイと呼ばれる。

 探偵役がトリック解説パートに入ってから読者の知らない新たな証拠を懐から出そうものなら、読者は怒る。

 それと同じで、私はミステリでない全ての作品に対しても、「物語が佳境に入ってから作者の裁量で物語が左右される」というのが気に入らないのだろうなと思った。佳境に入った時点でもうこれ以上ご都合主義は挟めない程度に「勝利に必要な材料」を伏線として全部提示しておいて欲しいのだ。

 例えばバトル漫画において、バトルの最中に気合でパワーアップして勝利する展開とかは、熱くていいなとは思うけどお話としてはご都合だなと思う。その点ジョジョとかはフェアプレイ的なバトルも多いので最高。


・ヒックとドラゴン

→ドラゴンは狂暴で危険な狩猟対象である!と思われている世界で、主人公ヒックくんだけが「ドラゴンは話せばわかるやつ」だと信じ、手なずけてなんやかんやするお話。

 なんか「話せばわかる」「こちらが歩み寄ればあちらも歩み寄る」という理想を持つのはいいけど、その理想が創作として理想的に描かれていると作者の操り糸が見えて嫌だな。アレと同じ嫌さがあるな。

そんなに中国が戦争を仕掛けてくるというのであれば、そんなに韓国と外交がうまくいかないのであれば、アジアの玄関口に住む僕が、韓国人や中国人と話して、遊んで、酒を飲み交わし、もっともっと仲良くなってやります。僕自身が抑止力になってやります。抑止力に武力なんて必要ない。絆が抑止力なんだって証明してやります。

 コレと同じ嫌さがある。

 哺乳類や鳥類が「愛」を持っているのって、愛を持っている方が家族関係や群れの関係を保ちやすく、生存率が上がるからだと思っている。そのため、両生類や爬虫類、魚類や昆虫が人間と同じように愛を持っている描写を見かけると、作者の拘りの浅さが見えてしまう。

 それは特にポケモンに対してそう思っている。虫とか魚のポケモンですら人間の命令を理解し、忠実に従い、人間と助け合って生きているのを見ると、なんで?と思う。いや虫ポケモンというのは虫を模した架空の生き物なのであって虫でないというのはわかるが、それなら「その虫ポケモンは群れや家族を作ってコミュニケーションをとるのか?」という所まで描写して欲しいものだ。なんか「野生ポケモンの生活」が見えてこず、ただエンタメとして都合のいい記号的なキャラクターが描かれているなあという印象。「じゃあ君は野生キャラの生活が見えてくるようなキャラばかり描いてポケモンのようなキャラ商売ができるのか?」と言われたらそれは私にも難しいのだけど。


 生物として、基本的には「聞き分けの良さ」とか「愛」って持ってない方が自然界では生きやすそうなものだが、ヒックとドラゴンという世界のドラゴンたちはそうではないらしい。

 あと、この映画も「出来損ないだと見下され差別されてきた主人公が実力をつけて救世主になり、みんなを見返して賞賛される」みたいなカタルシス系のシナリオになっているのだけど、カタルシス系はあんまり好きじゃないな。後半の解放感がすごいからみんなその酔いに騙されてはいるけど、序盤でストレスを受けていることに代わりはないからね。チキンリトルとか、序盤のいじめが陰湿すぎて後半のカタルシスでは取り返せないくらい嫌な気持ちになってしまったな。スカッとジャパンなのよな。

 何にしてもカタルシスが主軸のお話はあんまり創作的ではないように思える(いつも日記に強い思想ばかり書いてしまってごめんなさいね)。

 45点。


 なんか、お話の面白さって、大筋というより「言語化するまでもない些細な描写に共感性があるかどうか」に強く左右されるような気がする。ジャングルブック2で村育ちの子供二人が丸腰でジャングルに入っていったり、ジャングルの真ん中に急にマグマとか遺跡が出てきたり、虫が動物と同じように歌劇に混ざっていたり、カイジで「またベンツかよ!キモいんだよ!」みたいに自分の心情を解説しながらベンツを蹴飛ばしたり、細かい細かい「現実的に考えてそんなことある?」という描写があるたびに作者の操る糸が見えてしまって面白くなくなる。

 逆に「ミッチェル家とマシンの反乱」はご都合ばかりでお話が進んでいたのに、細部が「そりゃそうなるよな」という共感で固められていたから観ててイライラしなかった。

 やはり「現実的に考えてそうはならんでしょ」という細かい拘りが多い、面倒な性格の人間の方が創作には向いている気がするんだよな。カリオストロの城とかは現実味を持たせる工夫が散りばめられていたけど、それも宮崎駿さんが面倒な性格だからできたことなのだろうなと思った。

 インクレディブルファミリーのDVDについていた「製作現場の密着映像」も面白かった。作画監督が面倒な性格で、作中では描かれない各キャラの生い立ちや背景まで想像した上で、「そのキャラの性格で、こういう心情なら体はこういう動きになる」という所まで拘ってダメ出ししていた。例えばヘレンというキャラは不機嫌になったときにヘレン特有の口のつり上げ方をしているらしく、言われてみたら確かにその通りだったので、めんど~すぎてすげ~と思った。おかげさまであの完成度のCGアニメがあるのだ。


・モアナと伝説の海

→エッチアニメだった。モアナの3Dモデルがエッチなアニメ。

 エッチサムネ予告編だ!

 「心」を返して欲しがっているテ・カァが、「心」を返そうとしているモアナに攻撃していたのはなんで?と思ってしまった。ヘイヘイというキャラは省いてもお話は成り立つので、省いてよいのではと思った。

 65点。


・クレヨンしんちゃん 激突! ラクガキングダムとほぼ四人の勇者

→「ラクガキが具現化される」というテーマが既に面白いし、予告編も色鮮やかですげえなぁ~と思っていたのだけど、まさか蓋を開けたらあそこまで面白くないとは思わなかった。

 色んなキャラが出ては消えて行くが…味方キャラたちへの愛着を持たせるような工夫がない割には味方キャラたちが消えるときにはやたら感傷的に消えて行くの、何?

 ギャグも全体的に必然性とか脈絡があんまりない「浅いギャグ」であり、脚本家の「ほら!キャラが奇行をしているよ!面白いでしょ!」という意図が透けて見えた。他のクレしん映画では「合理的に行動しようと思ったら結果的に奇行になっている」みたいなギャグがあったりして面白いんだけど、この映画ではウケ狙いが透けて見える非合理的な奇行ばかりだった。クレしんあるあるの詰め込まれたクレしんの真似事の映画といった感じ。

 12点。


・おわり


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