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マナー遵守の方程式

・3100字弱

・恒例の質問返しコーナーをやっていきます。


・まずテーブルマナーには2種類あり、それぞれ存在理由が違うと思います。

・1つは「文化によって意味づけられたマナー」で、もう1つは「文化に関係なく直感的に不快だとされているマナー」です。

 嫌い箸(箸のマナー全般)は前者であることが多いです。

 これは他人を不快にさせないためのマナーというより、「自分は/他人はこれだけのマナーを知って実行できるぞ」という常識共有能力と共感性の高さを量り合うのが目的のマナーです。

・もう一つの「文化に関係なく直感的に不快だとされているマナー」に関しては、例えば音を出して啜って食べたり、口を開けてクチャクチャ音を出して食べたり、取り箸を使わず自分の箸で皆の食べる料理をつついたりといった、他人を不快にさせる可能性のあるマナーです。これはそのまま、他人を不快にさせないためにあるマナーです。

・食事のマナーは多いので、それだけ気を遣いあって食事をするということは、食事というのは入浴や睡眠や排泄と同じで、そもそも他人と共にすべきではない生理活動なのではと思っています。

・まとめると、質問の「テーブルマナーは、何のためにあるのですか?」への回答としては、「常識共有能力と共感性の高さを量り合うため。また、他人を不快にさせないため」となります。なんか普遍的な回答になってしまいましたね。ChatGPTに回答させても似たような回答をするのではないでしょうか。




・以降はマナー全般に関する雑感。


・「嫌う人/嫌われる人」では、嫌う人の方が有利な立場にあるので、仮に「嫌う人」が少数だったとしても、嫌われる人よりも自分の意見に幅を利かせることができているのだと思う。

 これだけでは説明不足だと思うので、補足が必要だと思う。

・小学校の頃、給食を配膳するとき、数人のクラスメイトが「ご飯をよそった後、ほぐしてよ」と提案をしているのを見かけたことがある。人によって「ほぐして欲しい派」と「ほぐさないでもいいよ派」があるわけであり、配膳する側の人間は最初は要望を一人づつ聞いていたのだけど、じきに面倒になって全員のを一律にほぐすようになった。実際に「ほぐして欲しい派」に属すのは数人程度であるのにだ。
・「ほぐして欲しい派」が「ほぐさないでもいいよ派」にご飯をほぐしなさいよと注文したとき、後者は精神的に敗北すると思う。

セルフ引用

 AさんがBさんを嫌うとき、「AがBを嫌うデメリット」より「BがAから嫌われるデメリット」の方が大きい。AはBの悪評を周囲に吹聴するかもしれないが、BはAに嫌われていることを知らないか、知っていてもそれを周囲に吹聴した所でAの評価はさして落ちない。この概念は「嫌い/嫌われの非対称性」と呼ばれている。今私が名付けたのだけど……。

 嫌うデメリットより嫌われるデメリットの方が大きいため、世間では他人とコミュニケーションを取る際に、「相手がこちらの一挙手一投足一発言に不快感を催す可能性」を考えながら行動する場合が多い。

 実際には「飯を食う時は帽子は脱いで欲しい」とか「外人は差別用語だ」とか「障がい者と表記した方がいい」などと思う人間が少数かもしれないのに(そういうデータはないので多数かもしれないが)、その意見が幅を利かせているように思える。

 「マナーを遵守する手間 < マナー違反だと思われる確率 x 嫌われるデメリット」という方程式が成り立つとき、そのマナーは遵守されるというマナー遵守の法則はあまりにも有名である。いま私が作ったのだけど、将来的に有名になる。

 例えば、刺し箸というマナーについてですが、一緒に食事をしている相手がそれを不快に思う人間である可能性は十分に低いように思えるけど、しかしそのマナーを遵守する手間も十分に低い(ただ箸で食べ物を刺さないようにするだけでよい)ためにマナーを遵守する人が多いように思える。

 例えば、結婚式では腕時計をするのがNGというマナーがある。これは一手間で守れるものではあるけど、これによってマナー違反だと思われる確率や、マナー違反だと思われた所でそれによって嫌われる度合いが十分に低いので、最近では普通に腕時計をする人も多いと聞く。結婚式行かない人間だから聞きかじった話でしかないけど。

 例えば、同僚の結婚式にご祝儀として3万を包むのはかなりの出血だけど、それをしなければしっかり3万円分以上に嫌われる可能性が十分にあるので、マナーとして成立している。

 例え話は無限にできるけど、これくらいでご理解頂けただろうか。マナーは「マナーを遵守する手間 < マナー違反だと思われる確率 x 嫌われるデメリット」という方程式が成り立つときに遵守される。

 それがどんなに理解しがたい「就活においては、ドアをノックするときは3回でなければいけない。2回だとトイレと同じになってしまう」のような蛮族が思いついたマナーであっても、方程式が成立している限りは遵守される。というか就活では「嫌われるデメリット」がデカすぎるため、どんなトンチキマナーでも遵守される。


 話がとっちらかってきたけど、本記事での私の主張は「嫌うデメリットよりも嫌われるデメリットの方が大きいため、実際には嫌う人が少数だったとしても、その少数の意見が随分と幅を利かせている」の一文に尽きるので、ごちゃごちゃ書いているのはその主張の補足説明をしているに過ぎない。


 本来、「嫌う人/嫌われる人」の立場に「有利/不利」がなければマナー文化はもっと複雑でなく、簡単だったはずなのだ。

 例えば、クチャクチャ音を立てて食べるAさんと、それを不快に思うBさんが一緒に食事をしていたとき、BがAに「クチャクチャするのやめてくれたら嬉しいな」と頼んでやめてもらうか、あるいはAがBに「クチャクチャが不快なのはわかるけど我慢してくれたら嬉しいな」と頼んで我慢してもらえばよい。

 どちらかが我慢しなければ食事が成り立たないのなら、我慢できる方が我慢すればよいのであって、仮にその両者が世界から切り離された存在なのであれば、その2人は平等な立場にあるはずだ。

 しかし前述の通り、嫌い/嫌われの非対称性があるので、BがAの悪評を「あの人はクチャクチャと食べる」といって周囲に吹聴することはできるにしても、AはBの悪評を吹聴するのは難しいため、BはAより有利な立場にある。

 BはAに対してこう指摘することだろう。「クチャクチャ音立てて食べるの、やめた方がいいよ」「お行儀が悪いよ」「私はいいけど他の人の前でやらない方がいいよ」「君がクチャクチャ食べるのは個人の自由だけど、そうやって少しずつ友人を失っていくんだよ」など。

 そう指摘せずに「個人的にクチャクチャ音が嫌だからやめてくれたら嬉しい」というような、立場が平等である自覚を持って指摘してくれればクチャクチャ側も気持ちよくクチャクチャを止められると思うのだけど、そういう不快感を指摘する人間はストレスを負っている状態なので、得てして物腰の強い口調で、「嫌う側の立場の有利さ」を活かした指摘をしてくる場合が多い。これでは気持ちよくクチャクチャを止めることはできないと思う。

 嫌う側の立場の有利さを活かした指摘のことをマナハラ(マナーハラスメント)と言います。

 (本当か?)




・引き続き質問を募集しております。

・投稿者が誰なのか推測できないような、普遍的な文体でお願いします。


・次回はゲームのレビューをします。

・おわり



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