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ショートショート10 伝統芸能 しきたり

  伝統芸能 しきたり
 慎太郎の住む町には、郷土芸能として有名な海神和太鼓がある。海の近くで昔は漁師町だった。大漁と漁の安全を祈願して、海のかなたへ届くようにと、一人の漁師が打ち始めたのがきっかけだそうだ。今は、漁師は減ってしまったが、その勇壮な姿と太鼓の音の迫力が魅力で、伝統芸能として残ったのだ。
 慎太郎の住む町のしきたりとして、十五歳になる少年少女は、必ず海神和太鼓を会得しなければならなかった。海神和太鼓は、大きいものは直径二メートルくらいある。しかし、慎太郎たちが習うのはお祭りでよく見かけるくらいの大きさのものだった。慎太郎は気が重かった。その稽古の多くは夏休みに行われるからだ。それも、漁が終わって船が戻って来る夕方からだ。朝から夕方まで塾の夏期講習でびっちりしごかれたあとに、練習なんてやってられない。塾の宿題だってあるのに。塾にいってないやつがやればいいんだ。そう心の中でつぶやいていた。
 
「慎太郎。また遅刻だぞ」
 海神和太鼓のまとめ役をやっている、この町一番の大きな船を持っている大介さんが怒鳴った。
「なんでそんな大きな声で怒鳴るんですか」
 慎太郎はカチンときて口答えをした。
「なにぃ、遅れてきたら一番初めにすみませんだろうが」
「俺には俺の事情っていうのがあるんですよ」
「言ってみろ」
「俺は毎日塾の夏期講習に通っていて、太鼓の練習には間に合わないんですよ。それに」
「それになんだよ」
「塾の宿題もあるから、ほんとは練習に出たくないと思ってます」
「え~」
という声がまわりからあがった。
「ちょっと何よ、慎太郎」
 同級生の仁美が話し出した。
「夏期講習を受けてるのは、慎太郎だけじゃないじゃん。終わってすぐ来れば間に合うんだよ!ただ練習に出るのがめんどくさいだけじゃん」
「おい、慎太郎。ホントのところはどうなんだ」
 大介が問いつめた。
「だって、海神和太鼓を披露するときは、選ばれた数人だし。今練習したからって必ず打てるわけじゃないし。いくらしきたりだからって、そんなことのために、受験の大事な時期の時間をとられたくない。時間がもったいないし、めんどくさい。うまい人だけがやればいいんだよ」
「慎太郎。海神和太鼓はうちの町だけの芸能だ。そこを慎太郎はどう考えてんだ。十五を過ぎたらもう社会に出ていいんだ。その年にやる意味を考えたことあるか」
 町の伝統芸能なんて他人事だと思っていた。誰かがやればいい。しかし、海神和太鼓の持つ意味とそれを十五歳でやる意味なんて深く考えたこともなかった。
(十五を過ぎたら社会に出る)その大介のことばが受験のことしか頭になかった慎太郎の心になぜか大きく響いてきた。

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