ロンググッドバイ


私は担当患者が亡くなるたびに文字にしがちだ。
基礎疾患のデパートで、約半年、毎日頭を抱えながらその人の体調変化に一喜一憂しながら過ごしていた。
機嫌も把握しづらい人だったので、たまに殴られもしたが、ある時点から、こちら側の圧倒的な対話アプローチの欠如が原因だったと気付き、それ以降は少しばかりの信頼関係を積めたような気もする。
私たちが治したかった元々の病気は結局治しきることができず、無念であった。
結局は他の基礎疾患による合併症で亡くしてしまったが、その人の体力というか生命力に何度驚かされたか分からない。
ここ数週間は家族も我々もいつ何時も携帯を離さず急変しても駆け付けられるような心持ちでいたが、予想より時間をかけて生命活動を終えられた。
最期は大変きつそうであり、本人だけが命を削る瞬間にも何もすることが出来ない不甲斐無さに背中をジリジリと焼かれるようであった。

バイト先の帰りに部屋に向かうと、魂が抜け肉体だけとなっている様子が伺えたが、それでもまだ柔らかい肉体に触れて、長いたたかいへの労いの言葉をそっと伝えた。伝わっただろうか。
あなたの生命力のポテンシャルにはたまげる瞬間が沢山ありました。医療自体が時にはあなたたちの生命を縮めている可能性があることを何度感じたか。
そして家族からの愛を受けている様子は眩しかった。家族関係はその人の死に際に如実に露呈する。周りに愛を捧げていた人は最期、愛に囲まれるんだね、


そして生き物の生き死にをどうこうしようっていうのが愚かなことだと思わないかね?という言葉を思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?