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踊るシヴァ神 ー 太極拳 ー 片足立ちで観じる宇宙



太極拳を始めて数年経った頃の話し。
さまざまな形で站椿していた時、学生の頃に見た、シヴァ神が片足を上げて踊っている銅像の写真が脳裏に突然よみがえってきて、「ああ、あのシヴァ神が片足を上げていたのは、この感覚を表していたのか」と一人感動し、以来そのイメージは絶えず頭の中にあった。それ以来、虚歩や独立歩が苦しいものではなくなった。

記憶の片隅に残っている図像をネットで検索すると、あ、これだ、というのが見つかる。

CleevelandMuseumOfArtに収蔵されている11世紀ごろのブロンズ像


 記憶の中には存在しなかったのだが、舞うシヴァ神の周囲に、炎の灯った輪があった。体を取り巻く円が示唆するものは何か?太極拳における円、というか圏のよう。この銅像には運命すら感じる。
 腕が4本だった記憶もなかった。それも動きの残像のように見えて、ますます気に入った。
しかしこの腰つき、この足の揚げ方、この顔の角度、間違いなく30年近く前に見たものだ。

そしてよく見ると、右手には小さな両面太鼓を持っているではないか。シヴァの踊りは宇宙の生成流転。踊るシヴァ神とは全く別のお気に入りの話「太鼓を叩き続けないと、太陽が動きを止めてしまう」というアフリカだかメキシコだかの言い伝えもある。ダマルというらしいが、ガムランの両面太鼓(チブロン)を思い出させてこれまた運命を感じる。

その他にも踊るシヴァ神の画像は沢山あるのだが、やはりこの像が良い。
他の像と比較すると、この像は空を仰ぎ見るような顔、今にも倒れこみそうな体幹が絶妙なバランスと揺らめくようなダンスを表現している。(普通の踊るシヴァ神の像は、髪が蛇のように拡がる表現が特徴だが、神ならぬ人の身体としては、無くても良い。拡がる髪の毛の表現は、オーラかヘイローのようなものなのだろう。)

精巧ではあるが、体幹の捻りが無く、真正面を見ている。髪は蛇のように広がっている。

 この踊るシヴァ神、ナタラージャという相らしい。私が太極拳の練習中になぜこの像を思い出したのか?
 鮑老師に独立歩を教わった時に「球を抱え込むように。」「脚の指先まで円く」と言われ、そうする意味・意義が分かっていなかった。しかし片足立ちの形で站椿をしている時に、この浮いている自由な脚はいったいどうすべきなのか?と気になってしょうがなかった。

 片足を揚げるということは地から自由になるという事。その先はどこにつながっているかというと理念的には「天」につながっているということになるのだろう。その為には弧(=円)でなくてはいけない。これは感覚的なことで、シヴァ神像が私の場合、助けになった。

像の周りにある円は宇宙と繋がる影のようなもので、自分の手足の動きが宇宙と一体となっているような感覚というのはやはり「円」と表現されると思う。


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