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大切な人の死が隣にある人生。

長生きとは大切な人を見送り続けること。


6歳

『死』というものをはじめて知った。
父方の祖母が亡くなった。

祖母は自宅の1階に住んでいて私や姉の面倒をよく見てくれた。

保育園送迎もしてくれたし
仕事が休めない母の代わりに遠足にも来てくれた。

祖母のお出かけやお友だちとの集まりにもたくさん連れて行ってくれた優しく面白いおばあちゃん。

そんな祖母が入院することになりお見舞いに行った時、祖母の顔は私が知っている顔ではなかった。

とても怖かったことを覚えている。

正確には半身麻痺となり顔の半分が動かなくなってしまったから、いつものおばあちゃんじゃなくて怖かったんだと今になって思う。

むしろそれを声に出して言った気さえする。

「こわい」
「おばあちゃんじゃない」
「病院に行きたくない」
そんなことを言ったのかもしれない。

記憶の中のおばあちゃんの顔は入院中の怖い顔をしたものになってしまった。幼かったし記憶も曖昧で、もっと楽しい時間をたくさん過ごしたはずなのに思い出せる笑顔はもうない。

入院中の祖母の思い出はそれだけ。
あとはもうお葬式だった。

お葬式がなんなのかもわからず、
普段会えない親戚と会えて嬉しかった私ははしゃいでいた。

火葬場へ行く前に大人たちと話す父が
「子供たちには見せないでおこう」
と言った。

私はもちろん何のことかは分かっていなかったけど
30年経った今でもその言葉は覚えている。

見なくて良かったのか
見たほうが良かったのか

それは今でもわからない。


18歳

同じ職場にいた30代の同僚。
ちょっと風邪をこじらせたと言って休みを取り病院へ行くと言った日から、あっという間の半年後に亡くなってしまった。

ちょっと入院。
ちょっと休養。
ちょっと話せない。
ちょっと面会できない。
もう二度と会えない。


一度お見舞いに行けるタイミングがあったのに先延ばしにしてしまった日がある。

会ったら渡そうと思っていた手紙だけ人伝に渡してもらったけど、とても喜んでいたと聞いて嬉しさと一緒に後悔が襲った。

その日はどうしても行けないわけじゃなかったから。

まだいいか
今度でいいかと
勝手に思って行かなかった。

その後、お見舞いに行きたいと伝えた日にはもう家族以外会えない状況で、次に顔を見たのはお通夜だった。

本当にあっという間だった。

祖母の死しか知らない私にとって人が亡くなるということは、もっと壮絶でもっと非現実的で日常とは違う特別なものだったのに、そんなことはない「普通の1日」だと知ったのはこの出来事から。

年寄りだったわけでもなく、見た目でわかるような変化があったわけでもなく、何年も闘病するわけでもなく、人は急にいなくなるんだ。


23歳

子どものころから家族ぐるみで仲良くしていた大叔父が亡くなった。

夏休みには家族で泊まりに行きディズニーランドも遊園地もプールも動物園もたくさんたくさん連れて行ってくれて、第二のおじいちゃんのようなおじさん。
遊びに行くときにはいつもご馳走がいっぱいで私たち家族を歓迎してくれていた。

私が子どものころはもちろん、結婚式にも参列してもらったし、息子を出産してからもたくさん可愛がってくれた。

病気が見つかって数年間の闘病生活が続いていたけど、18歳の出来事で後悔があった私は頻繁に会いに行った。
息子もたくさん抱っこしてもらった。

思いついたことはできた。
やれることはやった。
だから亡くなったと聞いた時に寂しさはあったけど後悔はなかった。

葬儀の時も満足感があったからゆっくり見送れると思った。

だけど、祭壇に向かって手を合わせた瞬間に自分でもわからない感情が止まらなくて大泣きした。
それだけおじさんが好きだったんだ。


葬儀からしばらくして大叔母家族に会いに行った。
大叔母は元気そうだった。
家族もみんな元気そうだった。
寂しさを乗り越えて日常を送っているような雰囲気だった。

遊びに行くといつものようにお寿司の出前を取り振舞ってくれたけど、個数が合わない。
私たち家族と大叔母家族の分。
+1個。

「あれ?1個多いね」

おじさんの分が1つ余ったのだ。

間違えちゃった~と笑うおばさんを見て泣きたくなった。

家族の人数というものは日常生活の中に染み込んでいる。
人は暮らしの中にいる。
亡くなったとしてもずっと居るんだ。


35歳

母方の祖母が亡くなった。
物心がつく前から毎週のように遊びに行って、親戚の真ん中にはいつもおばあちゃんがいた。よく笑ってよく食べるおばあちゃん。家族とも親戚とも近所の人とも仲良くて人に囲まれているおばあちゃん。

怪我をして入院したことをきっかけに痴呆が進むおばあちゃん。

それでもお見舞いにたくさんの人が来る。
本当にたくさん来る。

その中でも祖父の行動は、誰もが口をそろえて素晴らしいと言うほど印象的だった。

当時80代だった祖父は、バスと電車を乗り継いで入院先まで会いに行く。
痴呆が進み施設へ入った後も会いに行っていた。
しかも毎日。なんなら日に2回。
そんな人居ないよって施設の人に言われるぐらい。
そんな生活を6年ほど。

人の愛情というものを目で見ることはなかなか出来ないけど、間違いなくあの時の2人から愛情を見せてもらった。

おばあちゃんが亡くなったのはコロナ禍だったけど、それでもたくさんの親族が集まってみんなで見送れた。

お花に囲まれたおばあちゃんはとっても綺麗だった。

たくさん泣いてたくさん笑った葬儀が終わって、80代になる祖母の妹を自宅まで送ったときに何とも言えない気持ちに襲われた。

暗い階段をゆっくりゆっくり上り、1人の家へ帰っていく後ろ姿。

買い物をするのも大変だろう。
普段はきっと人と話をすることも減っているだろう。
ましてコロナ禍。

悲しいでもなく、寂しいでもなく、
なんとも説明できない
心がぎゅーっとなる気持ちを今でも覚えている。

この気持ちを埋めるかのように、この年から手紙を出している。
可愛い季節のカードを見つけたらメッセージを書いて送る。
そうするとお返事をくれる。

そんなやりとり。

今年は、藤と紫陽花のカードを選んだのでそろそろ届くころ。
次はどんなカードを送ろうか。


38歳

長生きとは大切な人を見送り続けること。

このことに気付いた今は、自分の人生を大切に出来ている。

一見関係ないと思える行動のすべてが、私にとっては繋がっていて生きることの意味がクリアになっている。

『私のモノづくりは愛情表現』
『心が落ち着くものをいくつも持っていることは幸せ』

いつか来るその日のために。
突然来るその日のために。

その時の準備をしながら
私らしく長生きします。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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