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#00 はじめに - 空き地はどこへ消えたのか?

いま私たちが暮らす社会は、様々な思想家や作家が予見した監視社会・監獄社会そのものになっていると私には思えます。

地球上、およそ人の暮らすところには隅々までコントロールが行き渡り、誰の目も気にせずにのびのびとしていられる余地、余白は、もはやどこにもないように見えます。

『ドラえもん』で、いつもジャイアンが土管に座っている空き地。理由もなくそこにいて、前触れなくスネ夫が来て。そもそもあの土管は何なのか?ああいう場所が、私が子どもだった1980年代から90年代の始めには、まだあちこちにあって、私たちはわけもなくそこに集まって何をするともなく過ごしていました。それらは今、駐車場かマンションに姿を変えています。ほぼ例外なく。

そんな空き地に象徴されるような、余地、余白。人文学はまた、私たちが豊かに生きるためにはそういうものが必要であることも語ってきました。

では、空き地が社会からなくなったことで、空き地的な余地は世界から永遠に失われたのでしょうか。それとも姿を変えて存在しているのでしょうか。失われたのだとして、私たちはそれを回復することができるのでしょうか。

このような問いを抱き、自ら回答したいと思って、この連載を始めることにしました。

共同企画者は自宅で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を運営し『彼岸の図書館』などの著作のある青木真兵君。彼は私と同じ1983年生まれで埼玉県出身、さらに同じく奈良県在住。彼と私的90年代史を語り合ったことから問いが浮かび上がってきました。

真兵君はじめ同年代の書き手から文章を寄せてもらい、共に考えてゆきます。


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