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#07 わたしたちは空間をつくり続ける (茂木美月)

今回は私の妻の茂木美月さんです。2013年に書かれたものですが、この企画のテーマへのすばらしい回答になっていると思い、掲載させてもらうことにしました。
もともと、当時小沢健二さんが運営されていたozkn.netで、最後を飾る文章として掲載されたものです。



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例えば、

子どもを寝かせるときに、おはなしをつくりながら、その空間に連れて行くこと。その魔法。
それは、眠りへと、夢の中へ、その間をつなぐ空間。


それぞれに編集された音楽のテープ。
そのなかからきこえてくる、音楽。
言葉がひとの声を通じて流れてくるときのパワー。魔法。
どんな状況でも、ぐっと、心が、ある気持ちに持ち上げられる、ある空間に連れていかれる。


とてもとても落ち込んで、だれも、この気持ちなんかわからない、、
と思っていた気持ちに通じる道筋を見つけた小説。
まるで、暗闇のなか、手を取り合うような、魔法。時空を超えて。


なんでもない会話のなかで、
とてもとても、きらめくような言葉を話してくれること。
それは、その言葉のトーンと共に、胸のなかで、いっぱいに広がる。
それは、しばらく甘く強く保つことのできる空間。


普段はおとなしいまちに、お祭りのときだけ、あやしく興奮する空間の発生。
それが終わるとまた、去って行く空間。

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いのちはどこにあるのかと、体を切り刻んでもみつからないように、
空間はどこにあるのかと、ものを並べても、ものをさがしても、見つからない。

ただ、生じては、消えていく、ただそれを繰り返す。

わたしたちは、それを、知ってるけど、知らないふりをする。

方法は固定できない。ひとは飽きてしまうから。
飽きると空間はすぐにへなる。

その、飽きて、へなる空間を、なんとか保とうとしたとき、
権力だとか、偏見だとかが生まれるように観察される。
そこに、喜びはない。
なぜなら、空間がそこにいないから。ただからっぽなのだ。


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声は、話したところからか、消えていく。けど、続いていく。じゃなかったらはなしなんかできない。

それはつながっていって、ひとつの空間を作る。

それは、種には、花は、茎はないけれど、
育ち、つながってつながって、花を咲かせたり、実になり、そして枯れてゆく現象にも似ている。

聞く側が、よく、理解すると、その、空間は、ズンと、力づよく、発生する。
聞く側が、あまりよくわからなかったら、空間はへなる。

そして、いずれにせよ、それは消えていく。

でもどこかにある。


それは、植物が枯れてしまっても、種をまくように。
また、芽生えるように、

ふとした、かおり、音、感覚で、再び空間がやってくる。

忘れたのじゃない。
その、たくさんのたくさんの空間を、わたしたちは、どこか、ひみつのポケットに、ぱんぱんに、詰め込んでいるのだ。


心細い、どこにも居場所なんかない、、
そういうのは、ただ、空間不足なのだと思う。


わたしたちは、どこかからやってきて、この生をうけて、また、どこかへいく。
ここは、永遠にいることはない。
その当たり前のことを、忘れてるだけだとおもう。


さみしさとか孤独なんかは、どこか帰るところへの郷愁に似たものかもしれない。
だから、死にたくもなる。


でも、現に、空間を感じてる時に、さみしさとか孤独を考えている暇もない。
だから空間をつくり続ける。
それはわたしたち誰もが使うことができる魔法。

たくさんの魔法を。空間を。・゜゚・*:.。..。.:’・*:.。. .。.:*・゜゚・*



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