教養は役に立たない

しばしば「教養は何の役に立つのか」ということが話題になり、さまざまな回答の形がある。私はこの質問をされると、いつもどう答えたものか、ちょっと考えてしまう。

私の持論は「教養は高度な遊び」「楽しむためにある」というものだ。教養がなければ楽しめない世界、というものは間違いなくある。ウェブと検索の発達でだいぶ追いつけるようにはなっただろうが、しかしこの妙味はクセになる。

これはすごい。この元ツイート。

教養かくあるべし、というツイートだ。

まず、すごいのは「画像と発言の関連性が非常に薄い」。普通、画像に文字をつけろと言われると、たいていは画像に関係のある言葉になってしまうものだ。しかし「海の中にも都があるぞ」には、運転も父親も関係ない。これは画像の内容の関連検索ではまったく導き出すことができない。天才の発想だ。

教養のない人間には、何を言っているのか、海とか都とか何のことなのか、さっぱりわからない。楽しめないのである。

教養のある人間だけが「これは平家物語、壇ノ浦の台詞か」と即座に理解することができる。

山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ、まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、その後、西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪のしたにも都のさぶらうぞ」となぐさめたてまつて、千尋の底へぞいり給ふ。

幼い安徳天皇に「海の下にも都がありますよ」と言い聞かせて入水する場面である。つまり「入水しても良いことがある」という慰めの言葉なのである。

この知識があって元ツイートを見た時に初めて「父親は入水自殺をするつもりだ」ということが理解できる。確かに運転中の父親が言ったら嫌だ!

これらすべてが一瞬のうちに繋がる、これが教養の醍醐味である。

じゃあこれ、役に立ったのかと言われると、まあ別に役に立ってはいないのだ。ただめちゃくちゃ面白い。その面白さがわからない人には、いくら教養の良さを説いても伝わらない。「教養を役立てよう」という功利主義的な質問には、そもそも解がない。燕の子安貝である。

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