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珈琲屋さんにて

今日素敵な珈琲屋さんにお邪魔した。
珈琲の種類、製法、バリスタの腕の見せどころまで、珈琲にまつわる様々なお話しを伺って、朝から五感フル回転で素敵な時間を過ごすことができた。

その中で、『同じ味の珈琲とは二度と出会えないかもしれない』というお話しが、スッと私の中に染み渡ってきた。
珈琲は、その年の気候や湿度によって豆の状態が大きく左右されるようで、昨年仕入れた同じ種類の豆を同じように焙煎して挽いて淹れても、全然違う味になることも多いらしい。
私も、一年前にめちゃくちゃ気に入ったSpringブレンドコーヒーが一年越しにお店に並んだため嬉々としてオーダーしたけれど、なんだか全然違う味に感じたことがあった。
特にブレンドコーヒーは豆を掬う時にどの豆がどれくらい掬われるかでも味が大きく変わるとのことであった。


ここ数年、1年、1ヶ月、1週間が瞬く間に過ぎる感覚がある。
今週あたまの記憶、先週半ばの記憶、同じ日なんて1日としてなかったはずなのに、毎日の境目が曖昧に、揺らぎ、ゆらめいている。
その理由として、毎日忙しい、休日は朝寝坊しているから活動時間が短い、とか色んな可能性が考えられるけれど、ひとつ、ずっと自分の中で引っかかることがある。

[今、にちゃんと意識を集中できてないこと]

例えば、すごく楽しみにしていた旅行にせっかく行っても、絶景に感動しているアタマの片隅には次の移動予定や夕飯何食べよう、とか次、未来のことで、今感じていたい感動が少し損なわれている感覚がある。

勿論、次を意識して生きるのは、生きていく上で大切なことだと思うし、プラスに働くこともだいぶある。
現に、以前の職場では、一年目の時まず最初に時間管理が叩き込まれた。
受け持ち患者さん約10人の1日のイベントと勤務時間のバランスや、他のメンバーの仕事量、それぞれの患者さんの退院時期を見越して、色んな尺度でプランニングし、今、最大限の働きをする、というのが毎日のミッションだった。
患者さんとお話ししながらも、常に幾つかのタスクについて掛かる時間を押し測りながら、今使える時間について意識した上で会話を調整することはざらにあった。
急性期の一分一秒を争う現場では、救える命を救う、また自分のミスで命を傷つけないためにそれは絶対に必要な頭の回転の仕方だったと思う。

でも、ずっとそればっかりだと味気ない。

今、目の前に広がる海の色や、水面の輝きはその時にしかないものだし、
隣で笑うその子の笑顔も、きっと、そのシチュエーション、その時にしかみられない輝きを放っている。
そんな、眩しくて綺麗な輝きを、記憶の揺らぎの中に逃してしまうのはとってももったいない。

だから、それでも大丈夫なときは、
今へ意識を集中させる時間を守っていきたいと思った。


『同じ味の珈琲とは二度と出会えないかもしれない』

遠くの国に住む人が丹精こめて育てた豆が周り回って、いろんなプロフェッショナルの手にかかり、今、私の喉を美味しく流れている。
そんな一瞬に出会った時、慌しい毎日の中ですぐ手放してしまう、今への意識を、手繰り寄せることを思い出したい。

珈琲屋さんでの覚書

お日様が注ぐ店内でいただく珈琲 it'sパーフェクト

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