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人間の顔を切り刻むこと

一年ほど前のあの日、あのラジオで、彼は「目標は現状維持」「老後はティファニーブルーの海に囲まれて生きたい」と語った。
聞き手のDJは「素敵な夢ですね」と相槌を打った。
彼の夢を知っていた──と思っていた私は少なからず驚いていた。彼の夢は「一生俳優を続けること」だったはずだ。
自分で何を言ったのかすぐに忘れてしまうのは、彼の可愛らしい特徴であったが、私はその時確かに違和感を覚えていた。

こういうのは単なるバイアスのようなもので、事故が起きた後に「あの時ああしていれば」だとか、試合に負けた後に「あそこでパス出しときゃなあ」と無意味な後悔を繰り返すことと対して違いはない。
むしろ俳優である彼が私の預かり知らぬところで勝手に遊び歩いて勝手にネットで叩かれたというような、私が介在する余地などどこにもないことであるぶん、いっそう無意味な後悔であり、振り返りであるといえよう。

しかし私は彼の挙動を思い出すことをやめられない。未練などはないはずで、むしろ未練などないからこそ「ああそうだよな、あいつあのときからおかしかったよな」と彼との思い出をずたずたに切り裂いた自分を正当化しようとしているのだと思う。

十ヶ月近くまえ、コロナの影響で中止になった、彼の出る予定だった公演の代替として、座組みでのyoutube座談会のようなものがあった。
おちゃらけつつも年長者としてそこそこに場を回す彼の立ち回りは、いつも通り私を癒したし、ああこの素敵な座組みで、お芝居がちゃんと見たかったなあなどと思った。
役者みんなの顔が見られるように、ギャラリービューになっていようと、私の目には彼しか写っていなかった。だから、エンディングの15分ほど前から、彼がスマホをいじっていたのもはっきりわかった。
オンライン授業でサボっている大学生たちと、まるきり同じ挙動をしていた。私は「どうしよう」と思った。どうしようもこうしようもないのだが、その時私ははっきり彼を「嫌いだ」と思ったのだった。

鍵垢でとりあえず愚痴った。
「配信楽しかったけど、ちょっと態度悪く見えたね」
消した。
「見間違いじゃなければだけど、スマホいじってなかった?」
消した。
「ああいう態度嫌いだわ。どうかと思う」
数分だけ放置して、たまらず消した。
数人しかいないフォロワーには、たぶん誰にも見られていなかったと思う。最後のが一番本心には近かったと思う。けれどあの頃の私は「彼を嫌いになってはいけない」となぜか信じ込んでいた。

彼のクリアファイルにハサミを入れた。
「受験生なの?俺も頑張るから、一緒に頑張ろうね」
サイン会に行って買ったCDを割った。写真集を破いた。顔と名前がちゃんとめちゃくちゃになるように、注意して切り刻んだ。
ずっと捨てられずにいた。売ったらお金になるかもしれない、と理由をつけてお部屋の隅っこにずっと執着の塊を取っておいた。もう売りに出しても誰にも買ってもらえないようなことを、彼がしたことはわかっていた。

彼がやらかして、推すのをやめて、半年ごしにすっきりした。

人の顔と名前にじゃきじゃきハサミをいれて、私はすっきりした。
いじめっこと変わらない。
彼はいじめられっ子だった。そうラジオで言っていた。


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