「僕の彼女は人間ではない」

 僕の彼女は人間ではない。プールの後の古典の授業中に、窓辺でうつらうつらとする横顔があまりに綺麗で、僕から告白したのだ。付き合ってください、と校舎裏でありきたりな告白をした。数々の男子が惨敗したと言う噂とは裏腹に、彼女はあっさりと「別にいいけれど」と言い、そしてこう続けた。
「私、人間じゃないのだけど、それでも良い?」
 彼女が言うには、太古の昔、それこそ神話の時代にどこかで植物の遺伝子が混ざってしまったという。だから彼女は冬になると体調を崩すし、日当たりの良い場所が好きだし、水を人一倍飲むし、どこか青みがかっているような、白い肌をしているのだ。
 僕は別にいいよ、と答えた。むしろ、彼女の人間離れした美しさに説明がついて、納得してしまったくらいだ。
 付き合い始めて、一緒に登下校をするようになった。彼女の隣を歩く僕には、並々ならぬ視線が注がれた。睨めつけるようなそれを不快に思わないでもなかったけれど、難攻不落の彼女をあっさり射止めたとあっては当然だろうと思った。自分でもなぜO Kを貰えたのかわからないくらいだ。
「デートに行きましょう」
 彼女が言い出したのは、付き合って一週間ほどが経った、夏休み目前のことだった。屋上へ続く涼しい階段で、僕たちは決まって並んで弁当を食べた。尤も、彼女は水筒の水しか口にしなかったが。
「どこへ?」
 彼女の方から積極的なことを言われて驚いた僕に、彼女は穏やかに微笑んだ。
「どこへでも。今の学生さんは、どんなところが好きなのかしら」
 彼女は時折、老人のようなことを口にした。
 悩んだ挙句、僕は彼女を近所のショッピングモールへ連れて行くことにした。強すぎる日差しは苦手だと言っていたから、屋内が良いと考えたのだ。待ち合わせ場所に現れた白いワンピースは長い黒髪に映えた。水色のサコッシュが、細い肩に似合った。いくつか雑貨屋を見て、ゲームセンターで遊んで、あっという間にお昼時になった。フードコートで僕がたこ焼きを食べていると、水をごくごく飲みながら、彼女は呟いた。
「帽子が欲しいわ」
「買ってあげようか」
「あら、嬉しい」
 いや、今のは完全におねだりだっただろ。そう思っているのが透けて見えたようで、彼女は悪戯っぽく笑った。清涼飲料水のコマーシャルにでも出てきそうな彼女には、きっと似合うだろうと、帽子屋で三番目に高い麦わら帽子を買った。緑色のリボンが付いている。彼女はそれを被って、嬉しそうに笑った。
「お祖父さんは元気?」
 帰りのバスで、彼女は唐突にそう告げた。帽子が余程気に入ったらしく、細い膝の上に乗せたそれをずっと撫でていた。
「いや、五年前に亡くなったけれど」
「そう。ところであなたは、縄文杉って知ってる?」
 僕は彼女が何を言いたいのかわからなくて、曖昧に頷いた。プシューと音を立てて、そこでバスは止まった。
「植物って、とても長生きなのよ。飽きちゃうくらい」
 バス停から家まで歩きながら、そう笑った彼女は今にも消えてしまいそうなほど青白かった。僕は思わず、繋いだこともない彼女の左手を掴んだ。
「君には、長生きして欲しい」
「随分残酷なことを言うのね」
 彼女は僕が買ってあげた麦わら帽子が風で飛ばされないようにそっと支えて、小さく微笑んだ。
「そんなことを言ってくれたのは、あなたが二人目よ」
 こうやって、過去の恋人の存在を色濃く匂わせる、彼女の方が余程残酷に思える。
「君はいつか、僕の孫にも同じことを言うのかな」
 彼女は顔を上げてこっちを見た。帽子のつばが影を作って、柔らかく上がった口角だけが見えた。彼女は軽やかに歩き出す。
「あなたが告白してくることも、人間じゃないとわかっても好きでいてくれることも、おねだりすれば帽子を買ってくれることも、私は全部知っていたの」
「僕は祖父じゃない」
「でも本当にそうなった。そしていつか私と別れて、可愛い孫ができるのよ」
 彼女の家の前に着いた。強い日差しが、白い壁に反射して眩しかった。
「可愛い帽子をありがとう。これ返すわね」
 彼女はサコッシュから、古めかしい女物の帽子を取り出した。笑っていた。
 魔性の女。僕の彼女は、人間ではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?