お金は無くてもいいのか。

結論を申し上げよう。

お金は必要だ。しかも自身が想定する以上の金額が。

何故か。

昨今、自分が幸せに生きていく上ではそんなに沢山の収入はいらない、という意見が特に若者を中心に多くなっている印象がある。アドレスホッパーという、住所を持たない人間も存在する。それ自体は新たな生き方として世間の注目を浴びるし、私個人としても年齢が年齢なら一先ずチャレンジしてみたい生き方である。

彼らはスマートフォンさえあれば様々なサービスを駆使して人生を謳歌している。その使い方はまるで某青いロボットのポケットのようだ。よくぞここまで、と感嘆せずにはいられない。

が。ここに落とし穴がある。彼らの職種だ。

一人前の給料とスキルを向上させることのできる業務経験であれば良いのだが、この若者達の中で【サービス業】と呼ばれる職種群にて勤務している人がいるのであれば、その【お金はいらない】という考えは即刻捨てて、とにかくスキルがお金になる仕事に転職することをおすすめする。

無論、そのサービス業においても【プロを目指す】という志高き方も存在するし、その技術を消化させて自身への投資価値を高め、顧客を獲得し高年収を維持し続ける人もいる。

が。

残念な話をすると、そうした人材はごく一部であり、20代の内は【お金なんていらない】と言った意見がまかり通っても、30代、40代と年齢を経るにつれ、その意見は白い目で見られること、受け合いなのだ。

白い目で見られないために自身の人生を生きているわけではない。その論理もわかる。、が。ここ1番で問われるのは日本においてはまだまだ経済力なのだ。胆力なのだ。数字を引っ張ってくる力なのだ。

事例を申し上げよう。

親の介護や何らかの事情を除き、自身の経済力の無さで実家に居座り、ろくすっぽ働く意思を見せない人間をどう思うだろうか。

そうしてかじりにかじった親のすねをまだかじろうとし、親から勘当される人間をどう思うだろうか。

大切な人がほんの数百万の手術で助かる。その時に【お金ないから】とさっさか費用の捻出を諦める人間をどう思うだろうか。

【お金はいらない】というのは、あくまでも自分のことだけを考える前提の生き方なのだ。そのくせ、彼らには天涯孤独にストイックに生きる雰囲気もない。彼らが一体どんな人生を送るのか、私は見てみたい。

【お金はいらない】というのは、【覚悟を捨てる】ということと同義なのではないかと、私は思う。時にはその覚悟を捨てて保身に走らなければならない時もある。が。覚悟を持つ前から一人称だけの人生を選択することに、私は違和感を感じる。そんな世の中を作ってしまった我々大人のせいなのか、はたまた受容力の問題なのか、永遠に決着がつくことはないだろう。

私の考えは保守的だろうか。

10月21日、妻の代わりに家事をこなしながら記す。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?