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「いじめられる側にも原因はある」?

よく用いられるこの言葉。今日はこれを分解しようと思う。

結論から言えば"原因"はある。しかしこれほど生産性のない謳い文句もなかなかない。原因がある、以降話が先に進まない。
信号を渡ってはねられた人に「外を歩いていたからだ」と言うようなものだ。家にいたらはねられなかったのは事実かもしれないがだから何なんだ。

これから書くのは実際に授業中にあった出来事だ。


国語の授業で、宿題を忘れたら人前で歌うペナルティーがあった。
その中で、どうしても歌えない生徒Aがいた。

教師「聞こえませんよ〜どうしたんですか〜」
生徒A「……」
生徒B「お前合唱部だろ、歌えよ〜ずるいぞ〜」
教師「そうですよ合唱部ですよねぇ」
周囲(Aが歌わないせいでまた時間が潰れる……)

散々な時間だった。

この状況は「歌わないAが原因」で「Aが歌えば終わる」。「忘れたペナルティーを実行しないA」。ただただ生徒Aが悪いという方向に流れていく。

なんと効率の悪いことだろう。ここで簡単に変えられるのは生徒Aの行動より「ペナルティーの歌」ではないか?そう教師に進言した。

・歌えない生徒がいることで授業が止まるのは無意味
・歌ったところで漢字の一つも学習できていない
・歌が平気な生徒にはさしてペナルティーになっていない
・せめてプリント+1とか漢字書き取りにしたらいいのではないか

教師はあっさり受け入れた。やじを飛ばしていた生徒Bは「歌が平気な生徒」の枠だったので、ペナルティーが漢字に変わってから提出率が上がった。生徒Aも皆の前で立たされることがなくなり幾分楽になったようだ。授業が止まることもなくなった。

進言した内容はあくまで教師にとって利になることに絞った。そのほうが聞き入れられやすいからだ。これがもし「Aがかわいそうです」だったならば、「忘れたAが悪いので……」で一蹴されていたと思う。


よくいじめられる側に対して「本人が抵抗しないと」「本人が訴えないと」「自身で解決しないと」などの意見が見られる。しかしながら、本人以外が動いたほうが秒で解決することもある。
いじめる側、槍玉に挙げる側にとって「いやがる顔を楽しんでいる」ケースがあるからだ。本人が嫌だと言って止まるいじめもそうそうないだろう。
もしくは「間違っていないからやめない」ケースだ。今回の件でも、宿題を忘れたのに歌わない生徒Aが悪くて、待たされる周囲は被害者、という構図が出来上がってしまっているため、教師も生徒Bも正しさの名の下に続行する。生徒Aが「歌いたくないです」と言ったところでやはり聞き流される可能性が高かったはずだ。

どう考えても「授業中断や"やじ"が発生するペナルティーをそのままにしていた教師の怠慢」ではないか。いじめをなくす工夫は、生徒Bを改心させたり校則を変えたりする大袈裟なことなんかより、もっとずっと手っ取り早い所に隠れているはずだ。

ペナルティーを廃止した教師は、生徒Aの苦痛を理解して廃止したわけではない。授業が止まるといち生徒から文句が出たからで、あの時間に実りがないことを認めただけだ。
それでも、苦痛を理解しない人間でも、場を変えさせることはできた。第三者でも誰でも、思いついた改善案は実行に移してみてほしい。


いじめの定義付けは不可能に近い。言葉の数が膨大で追いつかないからだ。「歌えよ、と言われた」これだけでいじめと判断する人はどれだけいるだろう。いじめる側は手を替え品を替えやってくるので、この言葉はダメと前もって制限することは難しい。確信犯もいる。だからこそ周囲からの現行犯注意・待ったをかけることも大切だ。

人によってはノーダメージな言葉だし、というのも厄介だ。誰かにとっては平気な言葉だとして、何故目の前の人に恥ずかしい思いをさせることがセーフなのか。薪に火をつけるのはよくても生身の人間につけたらダメというのと同じはずなんだが。薪は平気だったよなんて誰も言わないだろう。


そんなことくらいで過保護、と言われるかもしれない。が、この手のことが毎日その子の周りで起きてるかもしれない。"そんなこと"でも、目の前のひとつくらい減らしたい。

・あっちが原因だから、という言葉で勝手に自他を許さない。
・"正しさ"を度を過ぎた行動の理由にしない。

せめてこれだけは自分も気をつけたい。


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