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途中で起きて、もはや眠れない。

消灯時間は21:00。
22時には眠れたはずだったが、残念ながら1:30にフッと目が覚めてしまう。こうなると夜は長い。スマホにたっぷり音楽を積んであるのでずっと聞いている。
聞いているうちに2歳3歳の頃から始まるラジオの記憶が蘇る。やんごとなき事情で親と離れて暮らしていた。寂しいので枕元にポケットラジオを忍ばせて聞きながら眠っていた。1970年代初頭。演歌やしめっぽい雰囲気の日本の歌謡曲には馴染めなくて、何言ってるのかさっぱりわからないけど、洋楽の方が曲の雰囲気がカラッと明るくて好きだった。洋楽は子守唄だった。
イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」、CCRの「雨を見たかい」ニール・ヤングの「孤独の旅路」ボブ・ディランの「天国の扉」。陽気な歌ではないけれど、どこか安心して聞いていた。湿っぽい歌謡曲と陰鬱な感じの洋楽。洋楽を選んだのはなんでなんだろう?

最初に歌手と曲名が一致したのは、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」
だと思う。5歳くらいだ。タイトルの意味さえわからなかったけど、楽しい気分で夢の中へ誘ってくれたカレンには感謝しかない。

思春期に入ってFM放送を聞くようになって、いろんな曲と「再会」することで歌手と曲名が一致していくことが多かった。ジョン・デンバーの「故郷に帰りたい」に再会したときは嬉しかったなあ。すぐに暗記した中1の頃。
あの頃、周りの洋楽好きは、なんといってもマイケル・ジャクソン、マドンナ、シンディ・ローパーだった。TOTOやブルース・スプリングスティーンが好きなんて子もいたけど、「PPMにビートルズとサイモンとガーファンクル、ボブ・ディラン好きですけど何か?」と言ってる私は変わり者だった。
最近になってわかったんだ、古い洋楽が好きな理由。子守唄だったならそうなるよねえって。心の安定剤だったんだ。
ケニー・ロギンスの「フットルース」も悪くなかったんだけど、なんかぐっとこなかったんだ。

昨年、気付いたきっかけを作ってくれたのは、日本人アイドル歌手だった。1970年代初頭、絶大な人気を誇っていた女性アイドル、天地真理。気づかなかったんだよね、ラジオの向こうから日本語で唯一耳心地のいい歌を歌ってくれているお姉さんが誰だったのか。5歳の私にはわからなかったんだ。わからないまま47年も経ってしまった。
ごめんね、真理ちゃん。YouTubeを見るようになってやっと「再会」できたんだ。
ピンクレディにも山口百恵にも松田聖子にも心動かされなかったのは、洋楽と同じで、子守唄だった真理ちゃんの声のせいだ。
好きだったんだけど歌手も曲名もわからなかった歌が、天地真理の歌う「恋と海とTシャツと」だとわかったときはびっくりしたなあ。イントロを聞いた瞬間、5歳のあの頃の空気に包まれた。「そうかあ、私はアイドルが嫌いだったんじゃなくて、真理ちゃんの歌声が大好きだったんだ」って気づいた。そうして今も聞いている。
真理ちゃん、元気かなあ。

1974年のライブ盤「天地真理オン・ステージ」の1発目、バックはアコギとトライアングルのみ。レコードより高いキーで歌い上げる「水色の恋」。たぶん出だしは、ギターも真理ちゃんもアドリブなんだと思う。真理ちゃんの歌声に絡みつくように奏でられるアコギ。その技量の高さに安心して真理ちゃんは思うままに歌い進めて行く。上質の織物を織り上げるように歌が完成していくんだ。「今日はね、こんなふうに歌ってみたの、ウフフ」みたいな感じで。
天使はそこにいたんだなと思う。透き通る美しい声。
アイドルになるべくしてなった人だった。でもアイドルで終わらないでほしかった。
何をどうしたら「天地真理は歌が下手くそ」なんてことになったんだろうか。「耳の穴かっぽじって、よっく聴きやがれい!」(遠山の金さん風)

眠れねー。

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