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なぜあなたの文章はつまらないのか

今更だけれども2年前に書いてそのまま眠っていたnoteのメモがあったので成仏させる.当時は,markdownでメモをして,文章にするのが面倒で投稿しなかった.そこで,2年越しにChatGPTの力を借りて文章にしてみた.


 なぜ書くのか、なぜあなたの文章はつまらないのか


タイトルを挑発的にしてしまったが、これは読者の関心を引くためのもの。私はメンタリストとしてあなたの心を読み取り、この記事を通して「書く」ことへの興味を引き出している。
ここでの「書く」とは、論文やレポートではなく、ブログや一般書籍のような文章を指す。書く目的は、読む目的と相互的である。本を読むとき、読者には解決したい問いがあり、著者はそれに対する答えを示し、その間に理解の差が生じる。これは書くためのヒントにもなる。

読書の目的と問いの種類

娯楽
知識を得る
理解する
これらの目的は、読者の問いと直結している。問いは理論的と実践的に分かれ、理論的な問いは「なぜ」という好奇心を満たすためのもので、実践的な問いは「どう」してより良い状態になるかを求めるものだ。多くのブログや文章は、実践的な問いに答える形で書かれている。

レトリックの役割

レトリック、つまり文章を飾る技術は、ブロガーにとって重要である。レトリックと漫才の共通点は、不自然さを強調し、それに対する「ツッコミ」を通じて感動を生むことだ。文章におけるレトリックは、読み手の感情を揺さぶるために誇張や比喩などの技法を使う。
漫才においては、ボケとツッコミがこの役割を果たす。レトリックと漫才は、共に不自然さを利用して聴衆の感動を引き出す点で共通している。例えば、漫才では誇張や比喩、訂正法、言葉遊びなどがこの目的で用いられる。

結論

書くことは、読むことと密接に関連している。文章が面白いかどうかは、レトリックの使い方、つまり読者とのやり取りの質に依存する。良い文章は、理解を深め、知識を提供し、娯楽を提供する。レトリックを駆使し、読者に感動を与えることが、魅力的な文章を書く鍵である。


以下,メモ本文

# Q1.なぜ書くのか、なぜあなたの文章はつまらないのか
タイトルをあおりすぎてしまった...  
ブーメランブロスが投げてくる特大ブーメランを食らって、せっかくのファイヤーメイクからすっぴんマリオに戻ってしまうのではないかと震えている。
さて、気を取り直して。  
僕はメンタリストなのであなたの心が読める。  
それではあなたの悩みを一つ当てて差し上げよう。
ふむふむ...  
ほうほう...  
(!!!!!)

これを読むあなたは、「書く」に興味があるのではないであろうか。  
なぜわかったのかって?ふふふ、特別に教えてあげよう。

 **タイトルに書いたからである!!!!**

- ここでいう「書く」とは論文やレポートのような文書ではなく、ブログや一般書籍のような文章を書くことを想定したものである。
- 書く目的は読む目的である  
つまり、「読む」↔「書く」は相互的
- 本を読む目的  
①読者に解決したい問いがある  
②それに対する答えを著者が示している  
③読者と著者の間に答えに対する理解の差(違い)がある.
- 書くためのヒントは『本を読む本』に多く詰まっている
  - 著者と読者に理解の差がある→それを埋めるために読む
    - 読者には3つの目的がある
      - 娯楽のため
      - 知識を得るため
      - **理解するため**
  - 問いに対する命題を書いたものが本
    - 著者は一連の問題から出発する。
    - それに対して根拠を示しながら、命題が真であることを証明しようとしたものが本である
    - ここでいう根拠は、サブの命題として本全体を通して語られる大きな命題の構成要素となっている
  - 問いは理論的と実践的に分けられる
    - 理論的な問い
      - 「なぜ」を問う
      - 単に**事実を知りたい**、という好奇心を満たすための問い
      - 読書の目的で記した「知識を得るため」に近いが、理解が伴うかどうかで変わってくる
        - 例えば、「コンピュータはCPU,RAM,ディスクがパスを通じて構成さている」ことを知りたいだけならば「知識を得るための読書」だが「なぜCPUが必要なのか」を知りたいとしたら「理解のための読書」になる
    - 実践的な問い
      - 「どう」を問う
      - **より良い状態を目指して、具体的な方法や技術を習得**するための問い
      - ブログの多くはこれに当たる
        - というか、著者が学者でない限りすべての文章は実践的な問いを扱っているといっても差し支えない
        - 著者自身は理論的として書かれたイタイ本、ブログも多数存在する
        - しかしそれらは、「私はこう思う」という意見でしかない
          - 薄っぺらくガバガバなエビデンス
          - 読んでもない書籍の孫引きをそれっぽく記した根拠
          - 矛盾や飛躍が後を絶たない論証
        - **そんなものは某衒学者に論駁されればよい**
      - ただ、より良い状態を目的とした読書においてはブログは有用である
      - それが事実であるかはさておいて、人生をよくするためには共感できる文章、行動する指針を与えてくれる文章は素晴らしい
      - つまり、ブログは理論を伝えるためではなく、誰かの人生や仕事、どこかのシステムといった実践的な問いを解決するために書くのが良い
- ブロガーが多く存在してもよい理由は、レトリックに収束する
  - 書店で買える一般層をターゲットにした本やブログなどのネット記事には同じようなことがたくさん書いてある
  - 同じことを言っているのなら、一冊にまとめて後にも先にも類似する本を華氏451度で燃やしてしまえばよい
  - しかし、そう思っていても新しい文章は後を絶たない
  - 理由はレトリックの違いである
    - レトリックとは、文章を飾り付ける技法である
- **レトリックとは、漫才である**
  - 具体的には、レトリックも漫才もあえて不自然さを強調することで(漫才ではこれをボケと呼ぶ)文章では読み手、漫才では相方(または聞き手)にツッコミを入れさせ、人を感動させるという共通点がある。
  - つまり、レトリックとはボケとツッコミで構成されているといえる
    - レトリック
      - そもそもレトリックは「弁論の術」を意味するもので、会話の中で用いられる説得の技法という意味合いで使われていた。
      - そこから、次第に文章の重要性が高まるにつれ、文章を彩る修辞術としての意味が独立し始めた。
      - ここでは文章を彩る修辞術に限定した意味でレトリックを用いる
      - レトリックとは、あえて不自然な表現をすることで、文章を彩り、読み手を感動させる技術である
      - 例えば、「誇張」という技法を見てみる。
        - とても辛いカレーを「とても辛いカレー」とそのまま伝えても面白みに欠ける。
        - しかし、「辛さマグマ級」と表現すると今にも舌先がヒリヒリしてくる。
        - ここでは、口の中が辛く熱くなっている様子を「マグマ」と誇張して表現することで、読み手の感情を揺れ動かしている。
        - (ここでは比喩も使われている)
    - 漫才
      - 漫才とは、センターマイクを挟んで二人の芸人が会話を行い、聞き手を笑わせる演芸である.
      - 漫才には、ボケとツッコミふたつの役職が存在する。ボケが一般的には不自然と思われるような発言や行動をして、それに対してツッコミが訂正するというのが定型である。
    - レトリックと漫才の共通点
      - 不自然さをツッコミ感動させるという点で共通している
      - よく使われるボケ(特につかみで使われる)
        - 誇張=サンドイッチマン、「間違いない」
        - 比喩=霜降り明星、「スプーンに映った小栗旬」
      - フオーマットとして使われるぼけ
        - 訂正法=オードリー  
        - 言葉遊び=ナイツ
        - 平行法=ハライチ
        - 反語法=ミルクボーイ
      - あくまでこれもレトリックであって、すべての漫才をレトリックと表現できないものもある。
        - 例えば、背景設定自体がボケみたいなのはレトリックというよりもフィクションとして面白いみたいな、、、(???)

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