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もの書きになりたい君へ:読書のリバースエンジニアリングをもとに (※過去メモの掘り起こし)

デスクの整理もかねて過去の文章やファイルを見返していたら,2年前の文章が出てきた.せっかくなので成仏させる.2年前はMarkdownのメモにして,文章にしないままだった.今はChatGPTという素晴らしい相棒がいるので,メモを文章にしてもらう.


もの書きになりたい君へ - 読書のリバースエンジニアリングをもとに -

はじめに

世の中には、数え切れないほどの駄文が溢れています。皮肉を込めて言うならば、これらは芸術作品のようにも見えますが、実際はただの言葉の羅列に過ぎません。もしあなたが、書くことで生計を立てたいと考えているなら、一度立ち止まり、これから書くものについて深く考えてみましょう。本を書く目的は、読む目的のリバースエンジニアリングに他なりません。今回は、『本を読む本』を参考に、書くことへの新たなアプローチを考察します。

なにを書くのか

まず、本とは何かを定義しましょう。ここでは、「一連の文章からなるもの」としています。新聞や雑誌、ネット上のブログやサイトの記事も含め、幅広い文章がこれに該当します。一方で、論文や教科書、辞典、Wikipedia、レポートなどは、本ではなく文書に分類されます。

本を大きく分けると、フィクションと教養本に分かれます。教養本はさらに理論的なものと実践的なものに分類されます。

なぜ書くのか

読者に理解してもらうために書きます。読む目的には、理解すること、知識を得ること、娯楽を得ることの3つがあります。娯楽のための読書は自由な発想で書けば良いのですが、知識を得るための読書は注意が必要です。駄文は、このカテゴリーに多く見受けられます。読者は知識を得るために本を読むわけですが、単に知識を得たいだけなら、教科書や事典、Wikipediaで十分です。本は、その結論に至るプロセスを理解するために読まれるのです。

ショウペンハウエルは、本を読むことだけで知識を得ようとする人々を皮肉っています。これらの人々は、社会で必要とされる聡明な思想家にはなりえません。だから、知識を得るためだけでなく、理解するために書くべきです。書き手と読み手の間には、理解の差が存在しますが、これは優劣ではなく、プロセスの差です。

また、書きたいことを他人が既に書いていないかも考えるべきです。多くの駄本は、他人が既に述べた内容の繰り返しです。優れた本は、書き手が自分の頭で考え、新しい結論やプロセスを提示しています。

どう書くのか

本の面白さは、「内容のおもしろさ」と「表現の面白さ」から成ります。ここまでの内容は「何を書くか」という内容の面白さについてでしたが、ここからは「どう

書くか」という表現の面白さについて考えてみましょう。論理的に書くことは基本です。レトリックを用いることで、読み手の想像力を喚起し、理解を深めることができます。例えば、大胆な比喩を使うことで、文章に生命を吹き込むことができます。

まとめ

文章はフィクションと教養本に大別され、教養本は理論的なものと実践的なものに分けられます。教養本を書く目的は、読み手に理解してもらうことです。文章の面白さは、内容と表現の面白さに分解できます。内容の面白さは、新しさにあり、表現の面白さはレトリックの豊かさにあります。これらのどちらか一方でも欠けている文章は、書くべきではありません。


メモの元ネタも載せておく.

# もの書きになりたい君へ-読書のリバースエンジニアリングをもとに-
## はじめに
- 世の中には、駄文が多く存在する(レトリックで皮肉っぽく)
- あなたが何かを書くことで生きていきたいと考えているのなら、いったん立ち止まってこれから書く内容について自分の頭で考えてみてほしい
- 書く目的は読む目的のリバースエンジニアリングである。
- 『本を読む本』をベースに、書くことについて考察した。

## なにを書くのか
- 言葉の定義
  - ここでは本とは、一連の文章からなるものと定義する
  - 新聞、雑誌はもちろん、ネット上のブログやサイト記事も含む文章全般だと思ってほしい
  - 本ではないものは、すべて文書に属する
    - 論文や教科書
    - 辞典、wikipedia
    - レポート
- 本を分類する
  - フィクション
  - 教養本
    - 理論的
    - 実践的

## なぜ書くのか
- 読者に理解(納得)してもらう
  - 読む目的は理解する、知識を得る、娯楽の3つがある
    - 娯楽のための読書
      - 好きに書けばいい
      - 芸術を縛るものなどあってはならない
      - そこには優劣などなく、好き嫌いがあるだけだ
    - 知識を得るための読書
      - 本文で駄文と呼ぶものはここに属する
      - 読み手の視点から
        - 知識を得るために本を読む人は多い。
        - しかし、単に知識を得るのが目的ならば教科書を読む、事典を読む、wikipediaを読むで事足りる
        - 本(文章)は知識を得るのには効率が悪い。
          - 本は論証を行うために多くのページを用いる
          - なぜその結論に至ったかを複数の小さな結論を用いて説明する
          - 単に結論だけを盲目的に知りたい人はツイッターで「#図解」「#要約」と検索して、鼻高々にその内容を自慢すればよい。その際には、伸びた鼻で相手の賢い頭をつつくことのないよう気を付けてほしい。

        - ショウペンハウエルは「学者とは書物を読破した人、思想家とは世界という書物を直接読破した人のことである。」と単に知識を得るために本を読む人を皮肉っている。
        - つまり、知識を得るために本を読む人は、博識高い物知りにはなれるが、社会で必要とされる聡明な思想家にはなれない。
    - 理解するために読む
      - 知識を得るのが目的ならば本を読む必要はない
      - 本は結論に至るまでのプロセスを理解するために読むのである
    - リバースエンジニアリング
      - 理解させるために書く
      - 書き手と読み手の間には理解の差があることが前提
      - 理解の差というのは、知っている・知らないではない。
      - プロセスの差である。そこに優劣はない。
      - 書き手が読み手に理解してもらいたい(もしくは理解する必要がある)ことがあり、なぜそれが正しいかを論理的に理解させることが書く目的である。
- 書きたいことを他に書いている人がいない
  - 駄本は、どこかで誰かが言っていたことであることが大半だ。
  - ショウペンハウエルの表現を用いるとテーマから離れられていない本だ。
  - 優れた本も駄目な本も書物を参考にしている。
  - 違いは、**自分の頭で考えたか**どうかだ。
  - 価値のない本は、参考にした書籍をなぞっただけのものが多い。単に表現が違うだけで、結論もそれを構成する論理も全く同じ、という本は一次情報に当たればよいので読む価値はない。
  - 真に読む価値のある本とは、書き手が自分の頭で考えて、なおかつその結論やプセスが参考にした本とは異なっている本である。
  - 書くとは新しくなくてはならない。
  - 新しくない本など読む価値はない
  - リバースエンジニアリング
    - 新しいことだけを書く
    - 誰かが書いたものに啓蒙されて、自分も同じようなことを書きたくなることは誰にでもある
    - 一歩立ち止まって、今書きたいことは何が新しいのかを問う
    - 参考にした本とは何が違って、なぜ価値があるのか。それを説明できないならば書くのはやめよう

## どう書くのか
- 本の面白さは「内容のおもしろさ」と「表現の面白さ」で構成される
- これまでは「何を書くか」という内容の面白さに触れてきた。ここからは「どう書くか」という表現の面白さについて考えてみる
- 大前提として論理的に書くことは忘れてはいけない。
  - 理解させるという目的が大前提なので、論理の明快さは最低条件
- レトリックを用いる
  - 表現のおもしろさは、レトリックに収束する。
  - レトリックは説得の技法である。
  - つまり、理解させるための技術でもある。
  - 理解させるという目的のために、誇張したり比喩を用いて、読み手の想像力を喚起するのがレトリックである。
  - 大胆な比喩を用いると**レトリックとは漫才である**
    -漫才は基本的に、ボケとツッコミによって構成されている
    - レトリックは文章においてボケの役割を果たす。
      - 例えば、「レトリックとは漫才である」という主張は、マジレスすると嘘だ
      - しかし、レトリック=漫才という、本来存在しない関係性をつくることで読み手に「なんで?」とか「違うやろ!」みたいな相槌(ツッコミ)をさせている
      - レトリックは文章の中に不自然な表現を用いることで読み手にツッコミを入れさせておもしろさを生み出している。同様に漫才も、ボケが一般常識とは異なる不自然な言動をして、それをツッコミが指摘することでおもしろさを表現している。
     - 不自然さとその指摘という点で漫才とレトリックは類似している
      - レトリックは、事実を述べるだけの文書には必要ない、ムダな部分である。
      - しかし、理解を促すための技術として文章には必要不可欠である。
      - 何かに例えたり、大げさに表現したり、あえて語順を変えたり、リズミカルな語調に合わせたり、レトリックを用いることで理解しにくい内容を容易に理解させることができる。
    - 世の文章の多くは、レトリックの豊かさで優劣が決まる。
      - 何を書くか、内容の面白さには莫大な労力がかかる。一生を通じて、一つの結論を追い求める哲学者だっている。
      - しかし、もの書きになりたいあなた(僕)は何かしらを書く必要がある。
      - 書くことをだけを目的に、どこかで読んだ誰かの主張をなぞった文章では読むに堪える。
      - そこで、表現の面白さを用いることで、同じ内容を扱った本の中でも違った読者層に刺さるかもしれない。
      - 有益な情報をより多くの人に届けることができるかもしれない。
      - あえて、前半の内容をすべて裏切ろう。
      - 新しい情報を与えられなくても心配はいらない。参考にした本よりも面白いボケとツッコミをすればいい。
      - ただ、それはクソ文章との隣り合わせだ。
      - 浅草キッドで描かれた、売れない時代のツービートのように、誰も見ていないショーパブでひっそりと自慢の漫才をしているむなしさにあなたは耐えられるだろうか。
      - まずは、理解してほしいことを自分の頭で考えよう。書くために書くことは、あなたの心を満たしてくれない。
    - (補足)漫才とレトリック
      - よく使われるボケ(特につかみで使われる)
        - 誇張=サンドイッチマン、「間違いない」
        - 比喩=霜降り明星、「スプーンに映った小栗旬」
      - フオーマットとして使われるぼけ
        - 訂正法=オードリー  
        - 言葉遊び=ナイツ
        - 平行法=ハライチ
        - 反語法=ミルクボーイ

## まとめ
- 文章は、フィクションと教養本に大別され、教養本は理論本と実践本に分けることができる。
- 教養本を書く目的は、読み手が理解していないであろうことを理解させることである。
- 文章の面白さは、内容の面白さと表現の面白さに分解できる。
  - 内容の面白さとは、結論の新しさである。だれも書いたことのない、新しく、有用な結論があるほど面白いといえる。
  - 表現の面白さとは、レトリックの豊かさである。文章の中でより理解を促し、読み手を楽しませる表現であるほど面白い。
- この2つの少なくとも一方を満たさない文章は、書くべきではない。

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