『赤い椰子の葉』(目取真俊短篇小説選集2)

※くれぐれもお食事の前にはお読みにならないで下さい。また、下ネタ厳禁の方もお読みにならないで下さい。引用文中にあからさまに性的な描写がいくつかみられますが、作者の芸術的意図を尊重するために、原文のまま引用させて頂いております。

「水滴」:
安部公房の短篇や島尾敏雄『夢の中での日常』を彷彿とさせる短篇だ。
決して独創性がないという意味ではなく、彼らの短篇と同じぐらいシュールで面白いという意味だ。/
ある日、徳正の右足が突然膨れ出して、冬瓜(すぶい)のようになってしまう。妻のウシは、畑の草取りなどの仕事を一人でやらなきゃならなくなったと知り、腹を立てて徳正の脛を思い切りひっぱたく。/

【徳正は目をむいて気を失ったが、パチーンという小気味よい音が響くと同時に、膨らんだ足の親指の先が小さく破れて、勢いよく水が噴き出した。ウシはあわてて足先をベッドの横に出し、踵から垂れ落ちる水を水差しに受けた。最初の勢いは衰えたが、間断なく落ちる液体はどうみても水だった。】

【(略)頭をめぐらし部屋を眺めようとして、足元に並んで立っている数名の男達に気づいた。(略)頭を起こして見ると、もう一人、足元にしゃがんでいる男がいた。五分刈りの頭の半分を変色した包帯で巻いた男は、徳正の右足首を両手で支え持ち、踵から滴り落ちる水を口に受けている。男の喉を鳴らす音が聞こえた。立っている男達が唾を飲み込む。】

ウシも徳正の看病ばかりしてはいられないので、徳正の従兄弟の清裕を世話に雇う。
清裕はある日、不思議なことに気がつく。徳正の足の水を撒いた場所に生えている草だけが青々としているのだ。おまけに、肌に塗ればたちまち毛が生えてくるし、飲んでみるとなんと精力絶倫になるのだ。

【水の効能は清裕の予想以上だった。五十年来の禿という老人の染みだらけの頭にさえ、五分もしないうちに産毛が生えてきた。(略)顔に塗れば(略)みずみずしい肌が現われ、飲めば長いことしなだれたままだった一物が、下腹につかんばかりに頭をもたげてくる。どうせいかさまだろうと眺めていた客達も、今年八十八歳という老人が自分の股間を撫でながら象のような目で笑みを漏らした時には、おお、という声を上げ、水を求めて殺到した。一合ビン一本一万円という値段は吹っかけすぎかと思ったが、一時間もしないうちに売り切れた。】

この辺の何とも言えないいかがわしさは、安部公房『幽霊はここにいる』などを彷彿とさせます。/

『魚群記 (目取真俊短篇小説選集1)』の「マーの見た空」もそうだったのですが、目取真は物語がとりわけ陰惨なときにシュールな味つけをほどこしているようです。/

「軍鶏(タウチー)」:
この短篇集では、おそらくこの短篇を推される方が多いのではないかと思うが、僕は「水滴」の方が好みだ。
タカシと父が精魂込めて育て上げたアカは、そこいらに並ぶ者のいないほど精悍で強靭な軍鶏だ。
だが、そうしたアカの勇壮な姿が近所の元暴力団幹部、里原の目に留まり、ある日、アカは里原に持って行かれてしまう。
それを知った主人公のタカシが、最後に三島由紀夫『金閣寺』の主人公ばりの行動に出るのがカタルシスとなっているのだが、僕はその部分がどうにも気に入らない。
確かに打ち上げ花火は華々しくて見事だが、サーカスにはピエロが、作用には反作用がつきものだから、僕はどうしても花火を打ち上げた後のことが気になってしまうのだ。
カタルシスにも祭りにも必ず終わりがある。
問題はその後だ。
祭りのあとにはさびしさがいやでもやって来るのだと、拓郎ちゃんも歌っているではないか。/

他には、元ブラジル移民の孤独な老人と少年とのほのぼのとした交流を描いた「ブラジルおじいの酒」、学級崩壊しているクラスの担任となり休職に追い込まれた妻を持つ中学教師の不穏な日常を、息をもつかせぬサスペンスフルな筆致で描いた「剥離」などが印象に残った。/

巻末の《初出一覧》を見てびっくり!
なんと、「水滴」は第一一七回芥川賞受賞作品でした。
寡聞にして、ぜんぜん知りませんでしたって、これ、ホントのホント。

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