余華『ほんとうの中国の話をしよう』

三十五年目の六月四日のために。
「六四天安門事件糾弾!ひとり読書デモ」敢行中。
黄昏れても、ポンコツでも、無能でも、燃えつきても、読書デモ実施中!/

小説『活きる』や『兄弟』などの作家余華(ユイホア)が、「人民」、「領袖」、「読書」、「創作」、「魯迅」、「格差」、「革命」、「草の根」、「山寨(シヤンチヤイ)※1」、「忽悠(フーヨウ)※2」の十のキーワードで、大躍進、文化大革命、天安門事件、現代中国を斬る。2012年出版。中国国内で発禁処分!
必ずしも、悲憤慷慨ばかりではない。
至る所に笑いの爆弾が巧妙に仕掛けられているところに、余華の大きさを感じる。/

※1 山寨:コピー。模倣品。/
※2 忽悠:勝手に誘導すること。巧みに罠を張ること。人をペテン人かけること。/

「人民」:
次の文章は帯で引用されているので割愛しようと思っていたが、どうしても当時の雰囲気を伝えるものがほしいので、やはり引用することにした。/

【一九八九年春の北京は、アナーキストの天国だった。警察が急に姿を消し、大学生と市民が自発的に警察の任務を果たした。あのような北京が再現することは、おそらくないだろう。共通した目標と共通した願望が、警察のいない都市の秩序を整然と維持していた。街に出れば、友好的な空気が流れていることを感じる。地下鉄もバスも切符を買わずに乗れた。(略)当時の北京は、「四海の内はみな兄弟」とも言うべき都市になっていた。】/


【私の「人民」に対する理解は、(略)五月下旬の深夜に経験した小さな出来事に由来している。当時の北京はすでに戒厳令が敷かれ、学生と市民は自発的に北京の交通の要衝、およびあらゆる立体交差橋と地下鉄の出口を警護していた。完全武装した軍隊が天安門広場に進入するのを阻止するためである。
(略)
ある日、日中(略)出かけた私は、深夜になって寒さを感じながら、自転車で広場から学校に戻る途中だった。
(略)
遠くから歌声が聞こえてきた。さらには、遠くに灯火がまたたいているのが見えた。その後、(略)驚くべき光景が出現した。灯火まばゆい呼家楼の立体交差橋の上と下に、一万人あまりの人々が集まって、守りを固めていたのだ。彼らは激情に駆られ、夜空の下で高らかに国家を歌っていた。
「我らの血と肉で新しい長城を築こう!中華民族は危難のとき、追い詰められて最後の雄叫びを上げる!起て!起て!起ち上がれ!我らは心を一つにして‥‥‥」
彼らは寸鉄も身に帯びていなかったが、自信に満ちていた。自分たちの血と肉で軍隊や戦車を阻止できると思っていた。(略)
私はついに、「人民」という言葉を本当に理解した。】/


中国の動物園はつまらない 
虎もいなけりゃ、龍も犀も牛もいない 
犬と羊とカメレオンがいるばかり  

地ならしの重機の音が耳を聾する 
いつか、踏み固められたアスファルトの下から 
ど根性大根のように 
「自由」と「民主」が 
頭をもたげる日が再び訪れるだろうか?/


春節は毎年やってくる。
だが、中国の人々にあのときのような本当の春が訪れるのは、いったいいつになるのだろうか?
そして、そのとき僕はその柔らかな風を、もう一度感じることができるだろうか?

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