『東京人 2024年6月号 特集 「画業70年 つげ義春と東京」』

僕のつげ義春との出会いは、竹中直人監督の映画『無能の人』だった。
映画を観た僕は、これはまさに僕の映画だと思い、たまらず原作を手に取った。
そこには、ゴーゴリが『外套』で描いたような無能な人々の生が描かれていた。
単行本『無能の人』(日本文芸社)には、「石を売る」「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」の六話とインタビュー「乞食論」が収録されており、映画はかなり忠実に原作の内容を描いている。
かくして、映画も原作も僕の永久保存版となった。/

◯川本三郎「水辺のほうへ」:
【つげ義春の作品には水が描かれることが多い。水に浸されているといっていい。海、川、沼、渓谷、堀割、温泉、あるいは雨、霧、雪。水は社会の隅にいる主人公たちの悲しみや憂いを慰謝し、優しく包みこむ。】/

【この男は素性がわからない。ある日、ふらっと町にやってきた異人である。主人ははじめこの男のうしろ姿を見て大きな鳥だと思った。(略)
つげ義春は、男の顔、姿を描きこまない。いつも黒々と大きな鳥のようにしている。男はこの世に忽然とあらわれた異人であり、まれびとである。
ある日、主人が河原に出てみると鳥男は水門の上にうずくまっている。鳥のように見える。主人は思わず叫ぶ。
「とべ とべ 飛ぶんだあ」。すると男は、マントを羽のように広げると暗い空に向かって飛んだ。】/

鳥師は飛んだ。僕は飛ばなかった。
鳥師は、僕の代わりに飛んでくれたのだ。
そうして、僕は生きながらえた。/

つげ義春は、『無能の人』で、無能な人々の生を描いた。
苦渋に満ちた、地を這う虫けらのような生を。
そして、鳥師に身代わりに飛ばせることによって、虫けらたちに今少し生きて己の無能を見ることを許したのではないだろうか?/

つげは、「蒸発」で、井上井月(せいげつ)の

【「何処やらに 鶴(たづ)の声聞く 霞かな」】

の句を自らの辞世の句とするかのように、霞の中へ消えてしまった。
あとには、彼の作品が残されているばかりだ。
ありがとう鳥師。ありがとうつげ義春。

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