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大切なことは目立たないことの中にある

すっ転んだ。

いつもの通勤路を自転車で走っていた。強い向かい風が吹いていたけど、電チャリだから、いつもならそれほど苦にもならない。

ところが、悪いことに雨も降っていた。私のレインコートはポンチョ型だ。風を孕んでまるでヨットの帆の様に膨らんだ。一瞬、ものすごい風が吹き「あっ…」と思った瞬間、自転車ごと吹き飛ばされていた。

強く地面に叩きつけられた(気がした)。勢いで顔を地面に打ち付けた。口の中にすぐさま血の味が広がった。ヤバい……自分がいまどんな状況なのか分からなかったが、腕がジンジンする。折れたか?それより、時間!雨も降っていたからいつもよりゆっくり走っていた。出勤時間に間に合うか?

怪我をしているのだから、それどころじゃないはずなのに、完全にパニックになっている。とにかく落ち着け。自分の周りに散らばっているスマホやお弁当袋、イヤホンなど、拾い集めて自転車を起こし、また走り出した。

幸い勤め先は救急病院だ。とりあえず着替えて上司に転んだことを報告してから救急で見てもらった。幸い骨折はしていなかったが、ひどい打ち身で手を動かすことすらままならない。

そのままお休みをもらえばよかったのに、責任感が強いばっかりに()仕事に戻った。

それが昨日の話。

今日は痛みも和らいできて、腕も伸ばせるようになってきた。昨日はタイピングもままならず商売あがったり(いま締め切りの近い案件を抱えていなくて本当によかった)であったが、今日はこうしてタイピングもできるぐらいに復活してきた。

とはいえ。

いつものなにげない動作の途中で痛みのために思わずフリーズすることがある。ものをつかめないし、指先に力を入れると痛みがあるので、プッシュ式のハンドソープすら出せないありさま。

ちょっとした動きの中で、普段は気にしていないけど、指先から肩までまんべんなく連携して動いていることに気が付く。

人間も同じだな、と思った。いつもは「そこにいるのが当たり前」で、特に目立った働きをしていないような人でも、その人がいなくなったらきっととたんに流れるようにスムーズに動いていたことが流れなくなる、ということはきっとある。

それは自分についても同じことがいえる。なにもできないように思い、役に立っていないように感じる時があったとしても、きっと「そこにいる」ことで役に立っていることはある。

思いがけないケガから、人生の大切な教訓を得ることだってある。なんでも無駄なことなんてない。


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