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私が乳がんになった時、決断したこと…

私は今から5年前…
突然…乳がんと告知を受けました。
その頃、看護師として、
充実した毎日を送っていました。

組織を任され、主任として
やりがいを感じていました。

娘2人は…
高校受験と大学受験…
とても大切な時期でした。

そして…その頃、
私は健康診断専門の施設で
働いていました。

がんは早期発見、早期治療…
そう言って…健診の啓発運動も
していました。

そんな私が…
トリプルネガティブ乳がん

なんて言っていいのか?
健康には自信があり…
健康診断の結果はすべて異常なし

そんな私が…なんで?なんで?

乳がんの告知を受けた日…
家になかなか帰れませんでした。

両親、主人にどう説明すればいいの?
きっと母が悲しむだろうな…

例えば…
私の娘が病気になったら、
母親として…どう考えても
やり切れない気持ち
になると思います。

でも…黙っているわけにはいかない

両親に乳がんのことを
きちんと説明しました。

その時は…
気丈に「・・・入院とか手術が
決まったら教えてね…。」

そんな会話をしたように思います。

一番…考えたのが、
娘にどう説明するのか?

その頃、私の気持ちが、
まだまだ不安定だったため…

面と向かって娘に話すことは
できませんでした。

夕方…暗くなってから…
塾のお迎えの車の中で…

後ろの席に座った娘に…

「ママ…おっぱいに悪いものできちゃったから、少し入院するね」

「えーなに?それってガンなの?」

「そう…でも大丈夫だよ。ママのガンは取れば治るんだから…絶対、ママは死なないよ」

しばらく…車の中は…
沈黙が続きました

その日の夜…
私はなかなか眠れませんでした。

治療、手術、抗がん剤…
それよりも…私が今いなくなったら?
娘達のことを考えると…

そう思うと…
胸が張り裂けそうになりました。

次の日、何も変わらない朝を
向かえて…

私は普通に出勤…
少し気がかりなのは…

下の娘の目が腫れていたことです。
おそらく、布団の中で泣いていたんだと思います。

あーどうしたらいいの?
みんなを悲しませて…
私はどうしたらいいの?


私は職場のスタッフに恵まれていて
自分の思いを表出できる人がたくさんいました。

ガンのことを話しては
泣いて話しては泣いて…

一週間くらいたった後…
ようやく、私の心が決まりました。

ガンになったのは、私が悪いことをしたわけじゃない。
手術で左乳房全摘、抗がん剤治療…
どんなに醜い格好になっても私は私…
病気に負けない…
どんな姿になっても…
母親、女性、組織の一員として…できる限り…笑顔で過ごす。
ただ、絶対無理をしない

これが…
私が決断した答えです。

そんな私の姿を見て…
たくさんの人が応援してくれたし、
たくさんの人に病気になっても自分らしく生きるってことをお伝えできたかな?って思っています。

今、あの時の自分に
声をかけてあげるとしたら…

紗栄子…頑張ったね。
紗栄子は紗栄子でいいんだよ。

そんな感じかな…

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