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場所はいつも旅先だった

仕事から帰ってすぐにベットに寝転がる生活。2日連続。昨日は、お風呂にすら入れなかった。

寝転びながら、「場所はいつも旅先だった」というドキュメンタリー映画を見て、あぁ、旅がしたいな、と思った。けど、この土日で初めて富山に行ったばかりなのだ。そうか、あれはわたしにとって、「旅」ではなかったのか。

わたしのことを誰も知らない場所に行きたいのかもしれない。友達との旅行も、もちろん楽しい。けれど、なんだか、こう。。東京にいるときと同じで、置いていかれないように、一生懸命になってしまった。

みんなが通った道を通り、同じ宿に泊まり、同じ景色を見た。そう、みんなと、見たかった。なのに、ちょっとだけ苦しかった。それで、できるだけ一人になろうとした。SNSも見ないようにして、わたしの行ったところも載せない。なんだか、わたしだけのものにしたかった。

今は、孤独になりたいのかもしれない。「不安と寂しさを愛してみてはどうかな?」という、映画の言葉に納得する。結局みんな孤独なのだ。孤独だから人と関わる。きっと今のわたしに必要だったのは、孤独を愛することだった。

電車が楽しかった。景色を見たり、映画を見たり、その映画にショックを受けて、ぼーっとしたり、考え事をしたりした。自分自身とずっと話していた。

散歩が楽しかった。海の音を聞きながら1時間ほど歩いて、道の駅で買った大好きないちじくを食べた。空を眺めたり、鳥を見たりしながら、あっという間に全部食べてしまった。

消費する観光が向いていない。暮らす観光が好きだ。この違いを、また元気のある時に書きたい。

楽しかった、で終われない、捻くれ者のわたしを、それでもわたしは愛し続けるよ。楽しかったの。とっても楽しかったのだよーーー。はあ、なんて贅沢なにんげん。

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