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寄付とボランティア

わたしには、何度も寄付をするほどのお金がない。

ので、寄付じゃなくて、ボランティアをして、持っているスキルや自分の時間で、大切な人の役に立とうとする挑戦をした。が、そっちの方が難しかった。そりゃそうだ。だって、その人はパンが欲しいわけじゃないかもしれないのだ。パン職人のわたしには、パンしか作れない。結局、勝手にしんどくなって逃げてしまった。(と、わたしが思っているだけで、場はうまく回っていたのかもしれない)

お金ってシンプルで分かりやすい。お金があれば、パンはもちろん、おにぎりも牛丼も焼肉も、なんだって食べれる。服も買えるし、家も買える。掃除もしてもらえるし、病院も行けるし、マッサージもしてもらえる。お金で支援すれば、その人が自分の必要なものに使える。

東京は、お金さえあればなんだって手に入る。サービスが溢れかえっている。お金が全てを解決してくれる。けれど、わたしはそんな資本主義社会の中で、謎に抗って生きている。お金以外で、誰かの役に立とうとしている。



年始、能登地震の際、わたしは寄付をして情報を追うのをやめた。

何をするのが正解か分からない素人のわたしは、プロフェッショナルに任せるべきだと思ったのだ。復興支援を職としているプロなら、どんな支援が必要か分かるはずだ。「お金」で、必要な支援を選んでくれるはずだ。

そうだ。今回のボランティアは、プロとして働いている友達が連絡をくれたから、挑戦したんだった、と思い出した。誘ってくれているなら、わたしにできることがあるはずだと、自信が持てた。嬉しかった。

友達に、本音で話そうと思った。友達は、どう思っているだろうか。困らせてしまっただろうか。


何が言いたいか多分伝わらないけど、「ボランティアって、むずかしい。お金って、分かりやすい。」って話でした。だれかを助けたかったり、力になりたかったら、下手に自分で動くより、金出して自分が傷つかないように見ないふりする方が、そりゃ簡単よね。

あと、わたしはパンのプロフェッショナルだけれど、支援(=今回のボランティア)のプロフェッショナルにはなれないなと思ったのでした。だからと言って見ないふりしたくないのは、友達が働いているからで。

結論、わたしにできることはこれからもパンを極めるのみ。終。


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