今日、懺悔します。

Twitterで見た知らない誰かのツイートに感銘を受けてなるほど、となった。
具体的な内容が何かというのは明確には覚えていないが、実践することができたので別に良かった。

私は本を読むことが苦手だ。これは漫画以外のすべての書籍に当てはまると言っても過言ではない。なんなら「本」といってあまり漫画を浮かべる人はいないと思う。小説やハードカバーとかそういう、なんか厳かな見た目の活字ですよという主張があるものをイメージすると思う。
私はずっと活字が苦手で唯一読めたのはBLの小説だけだった。挿絵があるところが基本的にえろいのでそこにたどり着くまでに頑張って読んでいた記憶がある。今はもう何も読んでいない。やっぱりイラストなどの視覚情報が入るほうがわかりやすくて好きだから漫画を楽しんでいる。
話がそれた。

ナナメの夕暮れを読んだ。ナナメの夕暮れとはタイトルと共に約4~5ページほどにわたる短文で構成されている若林正恭さんのエッセイ集だ。本といえば最初から順序良く読んでいくもんだと刷り込みがあったし物語だとしたら当たり前のように途中から読むなんて奇天烈なことはしないと思う。でも短編集だとしたら、どこから読んでもそこまで問題ないのでは?こち亀を何巻から読んでも楽しめるように、きっと同じだ。もちろん最初から読むメリットのほうがでかい(と思う。時系列しかり、その時の作者や登場人物の経験値が違うので)
ただ活字本を読む習慣が一切ない生活の私にとって1ページから読破することのハードルは2メートルの巨人が壊す壁くらい高かった。

「本はどこから読んでもいい」
Twitterで見たそのつぶやきに私は興味をもった。詳しくは覚えていないが多分noteに投稿されたものだったような気がする。
本は途中から読んでもいいから読むきっかけになってほしいというような内容だった気がする。本当にあやふやな記憶なので違う可能性があることもここで謝罪しておく。
端的に言うと途中から読んだ。ナナメの夕暮れを。
気になる文字や文章が目に入ったところを見つけてはそのタイトルの1節を読んだ。
気になったからするする読めた。この前後はどうなってこの言葉が文字列が出てきたんだろうって、その節の最初に戻っては読むを繰り返した。あとはタイトルが気になるところからも読んだ。そして初めて、この文章好きだなって思った場所のページを二つ折りにした。私のターニングポイントよろしく、いつでもすぐ読み返せるように。
本にあとをつけるなんか個人的に言語道断だが、もう読まないよりは目印があったほうがいいかと思ってつけた。

私が特に好きな節が2つある。ひとつめは「ナナメの殺し方」だ。
きっとこの本のメインになるであろうところなので多くのファンが好きと言っているんじゃないかと予想する。
好きな人との共通点を見つけては舞い上がる。おたくあるあると言いたいがおたくじゃなくても嬉しいことだと思うけど、おたくのすごいところはさらに思い込みが加速するところだと思う。(人にはよる)
この本は2015年から2018年にかけて連載されていたエッセイなので現在のまさやすさんの心の中とはかけ離れているかもしれないけれど、連載当時は間違いなく嘘偽りなく彼は自身でも書いているとおり『正真正銘のくそ野郎』だったのだ。そのくそ野郎に救われるくそ野郎がきっとまさやすさんのことが好きなんだって、偏見100%で思う。
まったく同じとはもちろんいかないが、「そう、そうなんだよ」と一方的にくそ野郎に共感して安心しているくそ野郎(くそアマ)たち。
今テレビで見ない日はないといってもいい彼の活躍の裏には様々な葛藤があることに、現くそ野郎たちは救われるのだ。
この節の良さは読まないことには伝えられないので気になった方は是非読んでほしい。とにもかくにも私の説明が下手ということだけがわかったね。

もうひとつの好きな節は「いるにはいる異性」。
これは自分の考えを否定されない異性に出会えた衝撃がかかれている。これも是非全文を読んでほしい。私に最も衝撃を与えた一文がある。
「BL目線で見る人たちの数を減らしたい」

この一文を読んで私は恥じた。頭を抱え、目を閉じた。

そして、しばらくしてから私はこの気持ちがわかるかもとふと思った。

「メンバーとは仲良しでいて」というファンの言動と一致しているなと思った。
百合じゃなくて?と思うかもしれないが、私にとってBLと百合は創作物としてとらえているのでちょっと違うと思う。まさやすさんが感じた嫌な気持ちは何をしてもキャーキャー騒がれ女性より相方といるときが一番楽しそう嬉しそう幸せそうという感情の押し付けが、私にとってのメンバーとは仲良しでいてという幻想の押し付けなんだろうなと思った。うまく伝わっているだろうか。

私もまさやすさんも恐らく今となっては全く気にならないことではある。
本当の私たちを知らないくせに勝手に仲良しを押し付けられることが苦痛だった。でも誰も本当の私たちなんか知らなくていいし、エンターテインメントとして見せている私たちを好きになってもらえれば十分なのに、仲良しだって言っておけばいいのに、みんなが幸せになるのに。でも私は幸せな気持ちにならなかったからたびたび口にしていたと思う。くそ野郎じゃねえか。
プロ意識が著しく欠如しているのですぐ口にしてしまうのが私の良くないところじゃないかと今改めてわかりましたね。ここテストに出ます。

大好きな人をそんな幸せじゃない気持ちにさせていたのかと思うと自分に腹が立つ。
時も経つ。時間が過ぎたおかげで私の中では時効みたいな雰囲気になっている。現在は嫁もいて幸せだろうし外野の余計な声はきっと彼の胸には届かない。
私が当時向けたであろう彼の心を蝕んだ目線はときを同じくして私を救っていた。誰かの願いが叶うころあの子が泣いている。なるほどな。
私の願いが叶い、彼の心は泣いていた。
ファンの心情はときとして推しを傷つけてはいても、ファンが救われていることがある。
だからここで懺悔します。私は許されなくてもいいから、私は許したい。そうやって救われてきたから。だから私は、メンバーと激マブダチスーパーベストフレンドです。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?