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シリーズ クラシック業界の色々 〜今、そしてこれから〜 音楽活動編②社会人2年目 試行錯誤の末、フリーランスの演奏家・講師になる

いつもありがとうございます。

さて、1年間の楽器店講師としての活動に区切りをつけ、
各所への行動が実り、幸い社会人1年目の終わりくらいから、別の場所での活動が決まり出しました。

新たな場所での定期演奏が複数決まり、公式サイトにもレッスンのお問い合わせが入り始める

まず、現在させていただいているセレモニーの演奏のお仕事
公式サイトにもレッスンのお問い合わせが入ったり始めました。

その他にも、クラシック専門のライブハウスに交渉し、実際に一度演奏もさせていただき、
好きなタイミングでコンサートをさせていただけるようになりました。
レストランの演奏のお仕事も月1くらいで続けていました。

とはいえ、いきなりはやはり安定しませんので、
まずは信頼関係を築くこと、そして営業活動も沢山しました。

上記のお仕事と並行して、
別の飲食店での演奏も決まったのです。
(学生時代からやっていたレストランとは全く別の所です)

新たな現場の一つが…😥

しかしながら…
このお店でのお仕事、業務内容が最初に聞いた話と何かと違ったのです。(詳細は伏せます)

しまいには出勤する度に、お店の代表やそこの常連客から言葉による猛烈な嫌がらせ。
他の全てのスタッフも結局のところ傍観しているだけ。
「大丈夫?」といったフォローやLINEも無し。
これは完全に味方ではない証拠です。

その上、そのお店以外の活動についてはうるさく言うのです。予定があって飲み会を断っても裏切り者扱い。
これ、恐らくは私にだけ。

そのようなわけで居場所もない。
非常に不快極まりない思いをしたのです。

ここで物凄いストレスを抱え、体調を崩し、精神面でも限界まで来ました。

本来の目的を見直してリスタートし直したら…

自分でもこの状況は非常に危険だと感じ、そことは距離を置きました。
そこで、先に決まっていたお仕事(セレモニーの演奏や自宅でのレッスン)で信頼関係を築くこと、
その他にも公式サイトなどから演奏のお仕事を受けられるようになることに、今一度焦点を置いたのです。

そしたらなんとありがたいことに、
焦点を置いたこれらのお仕事がどんどん増えていったのです。
もう毎日休む暇もないくらいに忙しい。

そして、現場の皆さんも大変良くして下さり、
レッスンにいらっしゃる生徒様や親御様も皆様とても良い方。

「仕事が楽しい!楽しくてたまらない!」

心の底からこう思えたのです。

あと、またまた赤裸々な話ですが、
経済的ストレスが一気に緩和され始めました。

この方向性で頑張ろうと即決し、
例の飲食店での演奏のお仕事は実質2ヶ月弱で辞表を出しました。

そこから更に忙しくなり、私の今の仕事の原点ができる

そこからは、本当に毎日がいい意味で忙しかったです。
演奏はほぼ連日入り、レッスンのお問い合わせも増え
始めました。

それに加えてコンクール伴奏、学生さんの実技試験の伴奏のご依頼も数件頂きましたね。
そこから1ヶ月後には初めての出張もしました。

出張で行った甲府市。伴奏のお仕事でした。

ここで、私の今の活動スタイルの原点ができたのです。
◆ソロピアニスト
◆アンサンブルピアニスト
◆ピアノ講師兼教室運営者

全部、私がやっていきたいと思っていたお仕事です。

ソロピアニストとしては、専門であるクラシックはもちろんのこと、
これに加えて、様々なジャンルの曲を演奏します。
1960〜1980年代の英米のロックやポップス、イージーリスニング、映画音楽、演歌、歌謡曲、童謡唱歌、などなど…
特にセレモニーの演奏のお仕事では、オールジャンル対応なので。

譜読みは早いことと、他ジャンルの音楽も大好きであること、
それから実は、コードでの演奏も昔から得意で、これも仕事で活かしたいと思っていたのです。
(特に歌謡曲などでは、メロディとコードだけの譜面を使うことも多いので)
学んできた知識・技術を全て活かせる。そう確かに感じました。

これらを普段の仕事として、責任を持って務めつつ、
年間に最低1回、数回程度コンサートをしようと考えました。

アンサンブルピアニストとしては、クラシック中心ですね。
コンクールに出る方の伴奏や、学生さんの試験などの伴奏をさせていただくお仕事です。
これも、学生の頃から絶対やりたいと思っていた仕事でした。

レッスンは、お子様から大人の方まで、それぞれの目的に合わせて、指導教材や曲を提案の上、進める形です。
ピアノ、音楽理論やソルフェージュのレッスンも、この時から用意していました。

巡り合わせは本当にある

これ、迷信ではありません
実際私が、大変な思いをしたり、もどかしさを抱えていた場所を全て去ってから、
自分の思い描いていた形が一気に動き出した
形です。

信頼する人からも言われました。

「仕事が減るのは最初は不安かもしれないけど、その分新しい良いご縁が沢山入ってくるから、
手放して正解だったと思える時がすぐに来る。」

全てその通りでした。

こうして、物凄い荒波を乗り越えて誕生したのが、
「フリーランスのピアニスト・音楽講師の磯貝萌子」
です!笑

いつも良くして下さる現場の方や事務所の方、お客様には、この時から今も変わらず感謝しております。

それから更にお仕事も頂くようになり、
この年の秋には有名音楽雑誌『月刊ショパン』の取材を受けました。
小規模のものも含めてコンサートも3つ開催しましたね。

この年は、人間関係や環境が物凄いスピードで変わっていった年でした。
これについて、色々な意見があるかもしれませんが、
それだけ物凄いスピードで成長したのだと思いたいですね。

この年の活動、写真で出せる範囲内で抜粋し、ご紹介します。

とあるコンクールの伴奏で。この年は伴奏のお仕事がとても多かったですね。
ソロコンサート1本目。
月刊ショパンより、ピアニストとしての活動について取材を受け、インタビューが掲載されました。
ソロコンサート2本目。
この年度の目玉だった、ジョイントリサイタル。
ソロではシマノフスキ、スクリャービン、ラヴェル、ドビュッシーを演奏、連弾でモーツァルトを演奏しました。


次回は、社会人3年目のお話をします。
2年目に作った原点をベースにしながら、新しい取り組みを始めたので、その辺りのことをお話しますね。

本日も最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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