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涙あり笑いありの誕生日 AM9:00

※看護のこと書いたら、めっちゃ長なりました🙇‍♀️

2020/6/27 9:00 ピンポーンとインターホンが鳴った。
「ん…」前日はしご飲みをしていたことを、体の重さが思い出させてくれる。
「宅配便でーす」インターホンの受話器を置き、眠い目をこすりながら扉を開ける。
(注文してた商品が届いたのかな…!)部屋に入ってから包みを開けようとすると、思っていた宛名と違う。

午前中指定、と書かれた荷物の宛名は、ずっと会いたくても会えなかった相棒からだった。
「いちばんに届けたかったからな!」そう言ってそうな声がきこえた。
そっと包みを開けると、「親愛なる萌子へ」と筆文字で書かれた手紙が目に入って、気付いたらぽろぽろと涙が溢れていた。

じぶんがしんどくても、わたしのことを考えてくれてたんやなって。

今日会えないことはわかっていたけれど、少しだけ会えたような気持ちになった。
うれしくて、なんどもなんども手紙を読み返した。いちばん会いたい人。いつの間にか出会って6年目、ほんとうにあっという間だった。
いろんな感情が重なって、涙がとまらなかった。

わたしたちが学生時代から出会ったのはきっと、いまのためにあったんだろうなって、思う。
実際に社会に出て、本気でつらくなったときに支え合えるように。
現場のつらさで、いのちを絶ってしまう看護師がいると看護学生時代に知ったときは、なんでひとりで絶ってしまったんやろうって思ってた。
やけど、今ならわかる気がするねん。どうしようもなく、しんどくて、つらい。

そんなときに、不格好なじぶんも含めてわかってもらえるような、心から頼れる人がおらんくて、ひとりで抱え込んでしまう。
それを発散する時間も心の余裕もなく仕事は毎日行かなければならない。
発散されなかったストレスは、本人が気づかない間に心や体を蝕み、元々の豊かな人格や健康な体を変えてしまう。

看護師になるような人は、人一倍責任感が強くて、強がりで、自分のことは後回しで人のことを考える人が多い。
だから、なおのこと頼るのがへた。それに加えて、現場では感情コントロールを身につけるから、周りの人が少し関わるくらいでは変化に気づかれないことが多い。
だから、発見が遅れるんだと思う。

元々は素直でなんでも言うてるような人でも、病棟っていう檻の中に入れられたら、臆病になるし性格歪むし、凹凸は否定されるしでその人のよさが潰されてしまうことが多い。
正直、先輩はみんな余裕なくて教育どころじゃない。急性期は特にそうやった。
余裕ない中で教育するから、弱者である新人が発散の的にされる。古い体質の病院は、ほとんど同じような話を聞く。

病院は、ロボットのように言うことを聞いて同じように動く人がほしい。
心や体を痛めたら、捨てられる。そんな印象がどうしても強い。

わたしもはじめはうまくやれなかった。だけど今は、うまいこと動いてみることも少し覚えた。余裕がある環境に変えてからは自分を見失うレベルになることはまだない。
ただ、今現在、心ある道を100%生きてるかって問うと、そうじゃないんよな。

「病院ではやりたいと思うことはできなかった。」
30年以上臨床で試行錯誤していたフリーランスナースが、以前に言っていた言葉が脳裏を過ぎる。

看護は好きだから続けたい。ただし、自己犠牲をせずに自分や周りの人を大切にできる余裕と、生きてる感覚をもちながら、生きたい。

またひとつ、願いがクリアになってきたかな。
幸せに生きる道を再定義した、6/27のAM9:00 だった。

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