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2ヶ月間の、継息子の我が家滞在が終了です

継息子の我が家滞在が遂に終了しました。
長かった!2ヶ月間!
いや、これはもう、本当に長かった。

仲良くは過ごせました。
でもやはり、生活習慣の違いとか価値観の違いが至る所で出てきたり、こちらが言いたいことをぐぬぬぬぬっと我慢することもあれば、逆に今、あ、継息子くん我慢してるんだろうな、とわかる時もありました。

継息子くんと夫は、継息子の小学校就学前から離れて暮らしている親子だから、この歳になってお互いに密に一緒に過ごす普通の日常ができて、それぞれが「貴重な時間だった。」と言っていました。

私はと言いますと、正直、2ヶ月間はしんどかったです。もう受けたくはないです、私はね。

1ヶ月半が過ぎた頃、義母に「2ヶ月間の滞在は流石にもう…、まだ終わらない、疲れてしんどい。」とチラッと愚痴ってしまったら、「あら!でも息子(私の夫)と孫(継息子)は幸せそうよ!」と言われてしまい、(そりゃ親子ですからね、彼らは幸せでしょうね。それこそが、私が滞在を受け入れる唯一の理由ですけどね。)と思いました。
ドイツに私側の親族はおらず、「ああ、そうだアウェイだった、愚痴っても私側で共感してくれる人はいないんだった。」と思いましたが後の祭り。
更に「大変なのもわかるよ、でも、私なんて5人の息子を世話したんだから!」と言われてしまい、思わず「そりゃ、自分の息子達でしょうが!」と口を突いて出てしまいました。
私が言いたいのは、「自分の息子達だからしんどくてもお世話するのは当然でしょう?」ではなくて、「自分の息子達だから、お世話が大変でもそれに見合う幸福感があるのでしょう?」です。

いや、正直、そこが私には欠けていましてね…。
継娘や継息子が幸せに生きていって欲しいとは、心から願います。幸せは心から願いますが、「私の中から湧き上がる幸福感」のようなものは(まだ?)ないのです。

継娘や継息子が無事に独り立ちしてくれたら、嬉しいです。子供の独り立ちに際して、一般的には(親からすると)肩の荷がおりると表現されますが、私の場合は縛りから解放されるという表現の方が合っている感覚です。

この2ヶ月間、夫も「普段の生活習慣が乱されてしんどかった部分もあった。」と言っていました。
おそらく継息子にとってもそうだったと思います。彼にとっても「いつもの生活ではない毎日」な訳ですし。

私達はそれぞれ気を遣い合って、上手く2ヶ月間をこなせたと思います。
長期でしたし、継息子くんももう大きいしで、私もいつも以上に素が出ていました。継息子くんの前での、力の抜き方も習得したと思います。仕事の後の夕食の準備が、どうしても頭も回らないし面倒くさくなってしまった時は素直に「夕食を作る気力がない」と宣言しましたし。夕食の準備どころか、帰宅後ソファでぶっ倒れて爆睡していたりしました。

完璧じゃない部分も、見せ合えてこそ家族。
うんうん。

2023年10月2日



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