見出し画像

書きなぐり

いつも気前のいいことを言っているけど、いざ追い込まれると自分の本性がでるなあとつくづく思う。制御できないほど、怒りが渦巻いて手に負えなくなり、気丈にふるまうことができず、黙り込んでしまうとき。

たいていは、自分のことで怒っているのがまた、つらい。

自分に対する相手の発言に納得ができないとか。私に怒れる権利があるのかと問われれば、ないと即答できるのに。いざその場に立ってみると、全力で腹が立って。

クズだなあと思う。

精神科の先生に相談すると、『怒る』という感情は誰にでも普通にあることで決してそれが故にクズではないと言ってくださった。

だけれども、どんなことで怒ってしまうのか、隅から隅まで先生に説明したならば、それはあなたがおかしいと言われても仕方ない。言われそうな気がする。

それでも納得できない。怒りは収まるまで待てば大丈夫とか時間が解決するというけれど、なかなかそれでは困ることもあって。そうやって自分がどんどん嫌いになっているかと思えば、自分のことで怒れる私が怖い。

最近は、怒っているのか悲しくてつらいのか曖昧になってきた。DV人間のいる家庭で育って傷つく言葉なんて吐いて捨てるほどいわれてきたのに。言われればいわれるほど精神を病み、離れた後も、そのころの言葉とは比べ物にならないほどマシな言葉しか聞かなくなったのに。少しの悪意にも傷つくようになった。

どんな言葉からも悪意をくみ取って、攻撃された感覚になって、もう攻撃されるような経験なんてしたくない。うんざりだ。それなら死んでしまいたい。という気持ちが過去の鬱屈とした感情が呼び戻されると同時に芽生えて消えず、とことん、外部の刺激に弱くなってしまった。

心のよりどころもわからない。

私は今後、平穏な気持ちで、自殺を図らずに生きていくことが可能なのだろうか。

自己肯定感、いまのありのままの自分でいていいと思う気持ち。

世の中の大半のものに、大半の言葉に悪意を感じ取って、呼吸も面倒で、死にたくて消えたくて。そんな自分はそのままでもいいと思えれば、少し楽になれるのかもしれない。

いっそ、みんなクズだったら、私も生きていていいやとおもえるのだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?