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「地元の友達」がいない私の地元再考

今年はHipHopの魅力に気づいた一年だった

きっかけは、夏にJ Dillaの楽曲を扱ったライブを観に行ったこと。J Dillaという人は、もう亡くなっているのだが、HipHopが好きな人の間ではとても有名なトラックメイカーなんだそうだ。
彼の楽曲は、サンプリングという手法で作られている。昔のレコード等からの色々な音源の断片を加工して、つぎはぎしたりして出来ている。沢山の要素が合わさって、今まで聞いたことが無いような、おもちゃ箱みたいにスリリングな感覚に魅了された。ビートもかっこいいし、なにより短い一曲一曲の中にストーリーがギュッと詰まっている感じが面白い。ただ、J Dillaはカッコいいけど刺激強めのサウンドなので、私には毎日ずっとは聞いていられなかった。なので、他のHipHopアーティストの曲も聞き始め、Youtubeで出てきて気になった動画をとりあえず色々聞いた。
で、結局良いと思ったのは日本のHipHop音楽だった。やっぱり母国語のラップは感情を揺さぶられるし、日本にもめちゃめちゃカッコいいトラックメイカーたちがいる。最近はラッパー達のインタビューやフリースタイル対決なんかも見漁ったりして、33歳にしてJ-RAPフリークとなった。まだ浅いので、これからどんどん深堀りしていきたい。

そんな話は置いといて

HipHopアーティストを見ていていいなぁと思うのは、音楽でもなんでも、仲間と一緒に色々やっているところだ。
Neighbourhood (近所、地元などの意味)という言葉からくる「フッド」というスラングがあるように、HipHopには地元を背負っている人が多くて、彼らの周りには昔からの地元の仲間がいる。そんなイメージ。
仲間がいるって、なんかうらやましい。そして気づいた。つくづく私って、地元に友達いないなぁ、と。

そもそも地元ってなんなのか

定義としては、住んでるところ、らしい。ということは、故郷や出身地と違って、人によっては移り変わっていくものだ。
私はというと、岐阜県で生まれて、すぐに家族で神奈川県に引っ越した。実家は今も横浜にある。幼稚園・小学校と横浜だったが、この頃の友だちは皆無だ。当時、小学校後半なんかは特に、登下校も休み時間も基本一人で過ごしていたように思う。別にいじめとかは無かったけど、単に気の合う子がいなかったんだろう。
そして中学・高校は東京・品川にある私立の女子校に行った。仲の良い友達はできたけど、みんな住んでるところはバラバラ。東京育ちの子もいたし、千葉や埼玉から来ている子たちもいた。なので、地元の友達というのとはちょっと違う。学校帰りに渋谷で遊んだりはしたけど、学校が休みの日に思い立って「遊ぼーよ」といって会うには、電車乗り継いだりしなきゃいけないし、お金も無いしで、中高生にとっては少しハードルが高かった。
高校を卒業したら、藤沢の山奥にある大学に通った。中高の友達とは疎遠になっていった。大学にはいわずもがな、色んな所から学生が来ている。友達はそれなりにできたけど、みんな課題、サークル、その他ソーシャルに忙しいので表面的な付き合いが多かった。

そんなこんなで、「地元の友達」というのが特にいない人生を生きてきた。なので、地元に友達がいる人とか、幼馴染がいる人をうらやましいと、時々思う。

帰属意識の問題

世の中には、引っ越しを繰り返して生きてきた人も沢山いると思うので、地元に友達がいないというのは、別に大した話ではない。大人になってから住みついた場所で、仲間ができた人もいるだろう。きっと家族やパートナーがその仲間って人もいると思う。要は、今いる場所が自分のホームと思えて、それを共有できる人達がいる。そんな感覚があると、人生は楽しいんだろうと思う。

英語で、Belongという動詞がある。「~に属する」という意味だ。使い方にもよるけど、私はこの言葉を結構面白いと思っている。"This is where I belong" というと、「ここが自分の居場所だ」という意味になる。今いる場所がしっくり来るか来ないか、という結構主観的な意味合いだと、個人的に思っている。この、自分が”Belong”できる場所を探して、ここ数年間、色んな土地に行ってみたり、いろんな人達に出会ったりしてきた。そんな流れでワーホリでベルリンに来て、2年余り住んでいる。
でも、探せば探すほどに、そんな場所は遠ざかるものだ。どんな国、どんな街にも必ず良いところ・悪いところがある。色々な土地に出会って色々、知るとかえって、「ここじゃなきゃ」とは思えなくなってくる。人に関しても同じようなことが言える。
Belong、何かに帰属意識を持つ、というのはある意味自分の枠を作るようなものだと思う。色んな場所に、根無し草的に移動していた私は、色んな枠を見すぎて、「どれか一つ」を選べなくなっているようだ。

取捨選択の問題

そろそろ、「Belongする場所」を外に探すことを辞める時がきたのだと私は気づいた。これからは、自分の中でどんな生活がしたいか、その生活をするにはどんな生活環境の条件が必要なのかを決めていく必要があるのだと。
インドの聖者ラマナ・マハルシは「私は誰か?」を問い続ける中で「これは私ではない」、「これも私ではない」とどんどん切り捨てていって真理に至ったそうだ。ラマナ・マハルシの本は3年前に10ページくらい読んで挫折したけど、その部分だけ覚えている。
ならば私も、「私じゃないもの」から消去法で捨てていってみようじゃないか。

私は都会好きでもなければ農家になりたいわけでもない、私はパーティピープルでもなければアンチソーシャルでもない、テック好きでもないけどそこまで新しい技術を毛嫌いしない、私にはデスクワークはできないけどずっと力仕事もできない、私は欧米人ではない…etc.
「これは自分である・これは自分ではない」とマル・バツを付けていくような感じ。きっと、バツの方が圧倒的に多い気がする。

そんなこんなで地元再考

「地元」の話に戻る。私にとって地元は、特定の街とかではなくなってしまった。でも、何か自分を構成する大切な要素がある場所ということになると思う。

なので、とりあえず私は、当面の間、地元=「日本」と捉えることにした。
結局何が言いたいかってつまり、地元最高、ってことです。

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