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ラ・カンパネラ

フジコ・ヘミングさんがお亡くなりになった。

過去にも見たドキュメンタリーを見ていて、気がついたことがありました。


皆さんにも、今までの人生の中で起こった出来事が

あの時ってこういうことだったんだ

とか

こうなるようになっていたのか、

とか

ある日突然ふと、「答え」みたいなのが分かる瞬間というのを体験したことがありませんか?

私はまさに、フジコさんのラ・カンパネラがそうでした。

とても個人的なことですが、忘備録的にここに綴ってみようと思います。


彼女のピアノとの出会いは、バレエを辞めて大学受験資格を得るための
大検(高等学校卒業程度認定試験)を取り、大学受験どっぷりの時期でした。

その頃の私は大分ストイックだった(というかバレエ団を辞め、中卒という立場上とにかく次の道を開くために崖っぷちにいた)こともあり
勉強に集中するために
「クラシック音楽を聴かない」と強制的に封印していた時期。

9歳からバレエを始めて、週5・6日のレッスンでは練習曲のバレエ音楽漬け
そして留学したら、朝から晩まで20室ある2階のレッスン場では1日中ピアノの音が鳴り響くような環境。自分のレッスン以外の時間、3階の寮にいても階下のピアノとドシン・ドシンとジャンプの着地音が響き渡っており、常にクラシック音楽やリズミカルな空気に浸かっているような環境に身を置いていました。
バレエと音楽は切り離せない関係なんですね。

無事、大検全教科合格、本格的に大検受験に突入し1度目の大学受験に不安いっぱいの時期、知人がCDを買ってあげると提案してきて、一緒にお店へ。
当時フジコさんは、日本での活動再開に注目され始めていた頃だったようですが、私は全く誰だかも何も知らずでした。
ただ、トーンの深い群青色のシンプルなジャケットに何気なく惹かれ、手に取ったことを覚えています。


帰宅して聴かずにはおられず、ラ・カンパネラが流れてきた途端
一気にぶわっと胸の底から何かが溢れてきて、
自分でも驚くくらい涙が止まらない事態に陥りました。

ひたすら涙が押し上げられるようにコンコンと流れ出てくる中

ふと、「自分は音楽に飢えていたのだ」ということに気がつきました。

足りていなかったものだったのだと。

だからこそ、久しぶりのリストの旋律が琴線に触れたのだと思ったんです。

しかし

フジコさんが亡くなり、過去のドキュメンタリーと再会した時に
彼女の言葉に
「一音一音が人生の一場面の鐘で、私はそれを表現している」

「世の中にはもっと巧い人はたくさんいるけれど
 機械みたいに完璧なのは嫌い。
 少しくらい間違っても良い。私の弾くこの曲が好き」

と言い切っている彼女の言葉に、なんであんなに泣けたのかが、初めて分かったように思いました。

波瀾万丈だったと言われる彼女の人生、その荒波を乗り越えてきたフジコさんにしか奏でられない音の深み、そういう目に見えない何かが、
我慢していたけれど我慢しきれない自分の隙間に入り込み、
パカッと開いちゃったんだろうなと。

「音楽の持つ力」、は良く聞く言葉だと思いますが、
人の創り出すもののパワーって、やっぱり人に影響します。

目に見えないけれど、胸を打ったり泣けてきたり、心を揺さぶられるような
そういう力が、やっぱりある。

ドキュメンタリーから20余年。
精力的に活動してこられたフジコさん。

自分を全うされたのだと思います。

ドキュメンタリーの中での彼女のラ・カンパネラが、また深く響いてきました。

私に音楽を思い出させてくれた曲。
我慢しないで自分のために聴けば良いと、
取り戻すきっかけになった音楽。

ある意味、私自身が自分を取り戻さなくてはいけない時期に、
彼女の音は響いてくるのかも知れません。

とても個人的な思いですが、ここに残しておこうと思います。

心よりご冥福をお祈りします。


彼女の絵も大好きでした。

ベニスのカーニバル






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