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布施氏の古い城はどこにあったのか

 歴史雑記107
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 ※ヘッダ画像:新庄城主郭から大和国中を望む(著者撮影)

はじめに

 僕の生まれた奈良県葛城市(旧新庄町)は、中世には布施氏という国衆が治めていた。
 この布施氏は古代豪族・置始(おきそめ)氏の後裔で、興福寺一乗院が知行する大和最大の荘園・平田荘の荘官を経て国衆化していったと考えられている。
 布施氏についてはずっと調べ続けているので、この「はじめに」だけで数万言を費やすことも可能なのだが(これは大げさではない)、今回は「布施氏の古い城」がテーマなので、ややこしい話は抜きにしてさっさと本題に入るとしよう。

大和屈指の山城・布施城

 大和と河内を隔てるのは修験の山・葛城山である。
 この東南部の尾根上に「詰めの城」である布施城がある。

葛城歴史博物館にある復元ジオラマ

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