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「蜀」をめぐる雑考

 歴史雑記040
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 おかげさまでこの有料マガジンも40回目の更新である。
 更新のモチベーションとなるのは、もちろん選ばれた読者であるところの皆さんのご購読である。これからも月に3〜5回程度の更新を堅持していくつもりである。よろしくお付き合い願いたい。
 さて、40回目となる今回は「蜀」──現在の四川省成都市を中心とする地域──について考えてみたい。
 蜀というと一般には三国時代の蜀漢のイメージが強い。また、縦目仮面が印象的な三星堆遺跡についてもよく知られている。それらも頭の片隅に置きつつ、「蜀地」そのものについて少々考えてみることにしよう。

メルカトル・マジックによる誤解

 蜀地を語るうえで、まずは地図による誤解を解いておかねばならない。
 現在、われわれがよく目にする世界地図というのは、だいたいメルカトル図法によって平面に描写されている。もともと球体であるものを平面に作図するため、メルカトル図法は高緯度の拡大率が高くなっている
 そのため、ロシアやグリーンランドなどは非常に大きく描かれることになってしまっており、後者に至っては、実際の17倍もの大きさで描かれているという。
 さて、中華人民共和国は広大な版図を持ち、最北端の黒竜江省大興安嶺地区漠河市は北緯52°10′ー53°33′と高緯度である。
 最南端は領有権をめぐって未だ定まらないが、人の多く住む海南省三亜市をとってみても、北緯18°9′ー18°37′となり、これはハワイとだいたい同じである。
 これは、北が寒くて南が暑いことを言いたいわけではなく、中国という国家が地図上で、メルカトル図法によっていびつに描写されていることを強調したいのである。
 今回のお題に則って言うならば、「四川盆地はより狭く、華北平原はより広く見えている」ということになる。実際、四川盆地は約26万㎢、華北平原は約30万㎢の面積をそれぞれ持つ。つまり、蜀地はかつて「中原」と呼ばれた地域(華北平原よりも狭い)に匹敵する広大さを持っているのである。
 もちろん、平地の面積がそのままそこに根を張る勢力の得る生産力と言い得るわけではないが、多少の参考にはしてもよいだろう。
 そんなわけで、蜀地はメルカトル図法で描かれた地図で見るよりも広大である。僕の学部時代の指導教官は、これを「メルカトル・マジック」と呼んでいた。

語り得ない蜀地の王朝

 冒頭で述べた三星堆遺跡は、20世紀初頭よりその存在が知られていたが、本格的な発掘調査はかなり遅れ、例の縦目仮面や神樹などは1986年に土坑から発見された。

青铜纵目面具B

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