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矛盾も含めてあなただから

小学生の頃のホームルームで。
先生に「誰かやってくれないかな?」と聞かれる時間が苦手だった。
特にみんながやりたがらないことに対しては。

「給食の余ったプリン食べたい人?」だったら、元気よくたくさん響く返事がまったく聞こえない。誰もが少し俯き、沈黙を続ける時間は、まるで「誰か手を挙げてくれよ」と全員が祈っているかのようだ。

あの張り詰めた時間が苦手だったのは、気まずかったからだけではない。

教室に30人いようと40人いようと、私にはまるで先生が私ひとりに訴えかけているような気がしてしまうのだ。

だからこそ、沈黙が重くのしかかる。だんだん「なんで手を挙げないの?」と、誰かがプレッシャーをかけてくるような気持ちになる。

そうしていつも、耐えかねて手を挙げてしまっていた。

先生は「助かった」と思ったかもしれないけれど、他の生徒には「点数稼ぎ」だと思われたかもしれない。

私はいつも自分の意志に反して、手を挙げてしまう自分を情けなく思っていた。

今でもこの葛藤をしょっちゅう抱えている。複数人集まる場に行くと、どうしてもまとめている人がやりやすいような役を演じてしまう。

「誰か意見を」と言われて誰も動かなければ、真っ先に手を挙げてしまうし、でも自分だけに偏らないようなバランスまで考える。2連続で発言してしまった後は、「頼むから誰か手を挙げてー」と祈ってしまう。

まとめる人にとって、これは特別悪いことではないのだろうけど。でも「自分がどうしたいか」で動けていない状態だから、なんだか自分に嘘をついているようで、勝手に演じて勝手に落ち込んでしまうのだ。

どうすれば、自分の気持ちを大事にしつつ、この沈黙を耐えられるようになるのだろう……?そんな話をした方に、一つアイディアを授けてもらった。

「こういう場面になると思わず発言しちゃう、という自分の一面も含めてオープンにしたらどうだろう?」

それはなんだか新しい発想だった。
そして「自分の気持ちを尊重したい私」も「思わず期待通りに動いてしまう私」も、どちらも私なのだと言ってもらえた気がした。

心の中を1つに統一する必要は、必ずしもないのか。

ずっと矛盾しまくりの自分が許せなかったけれど。まあそんなあり方もありかと、心がスッと軽くなった。

いい子な自分も、ダークな自分も
全部大事な私の一部。

みんな違って、みんないい。

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