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野の花みたいにそよそよと、わたしらしい表現探索

「野の花みたいに、そよそよ生きたい」

最近ふとそう思うようになった。これまでもこれからも「生きるとは」をずっと考え続けるだろうし、自分の根っこはしっかり張っていたい。でも人の想いは今まで通り柔らかく受けとめたいし、ときにはぶっ飛んだ挑戦もしたい。

だから軸はしっかり持ちつつも、心地よく風に吹かれながらしなやかに生きる。それが今の理想のあり方。

少し肩の力を抜いたようなあり方だけど、そう思えるようになるには数々のドラマがあったりして……?今の私を紹介するのに必要だと思うエピソードを、ギュッと語っていこうと思います。

先日作った、写真物語と共にお楽しみいただければ嬉しいです^^(Photo by 藤井音凛

物語の主人公

上田萌花 | moeca*
1993年、佐賀生まれ。現在は京都で夫と二人暮らし。

3歳からピアノ、小学4年生から合唱を始めて高校まで続ける。
神戸大学発達科学部人間表現学科卒業後、同大学院を修了(音楽専攻)。
在学中に音楽サークルでライブ経験を重ね、21歳からはソロで8年間シンガーソングライターとして活動してきた。

ラジオ局の広報、NPO法人での音楽活動、営業事務、コミュニティFMのラジオパーソナリティ、インタビューライターなど様々な職を経験し、現在の仕事は「言葉と音の創作家」と表現するのがしっくりきている。

人生のテーマは「わたしらしい表現探索」。誰もが安心して自分らしい人生を送れるように、cankotoという事業を育て中。

【好きなもの】内省、対話、カフェ巡り、ドラマ鑑賞
【苦手なもの】ネコ、珈琲・紅茶、言葉遣いの荒い人


【第1章】たとえ世界が怖くても、ただ歌いたくて

世界が怖かった。ただ "ここにいる" だけで責められているような気がして。だから、役に立つ存在になれるように、誰も傷つけず害にならない存在であれるように必死だった。

そうして人の想いばかり優先しているうち、自分のことがわからなくなって。ある日「親子でも言葉で伝えないと分かるわけない」という母の一言が突き刺さり、自分を表現できないことがコンプレックスになっていった。

一番身近な、大好きな母にすら、理解してもらえない。

そんな私の小さな希望になったのが歌。高校生の頃、生きる気力を失いかけたあの夜も「この想いをまだ歌にしてない、届けてない」と、踏みとどまることができた。

歌うために生きよう。

大学では学科もサークルも音楽で。少しずつ夢は叶えていたけれど、自分の歌は作れていなかった。でも、いろんな感情がごちゃ混ぜになった夜、心のままにスッと歌ができて涙が出た瞬間があって。

そっか、これでいいんだ。
思ったまま、感じたままを表現したいんだった。

そうして21歳のとき、憧れだったシンガーソングライターとしての一歩を踏み出した。「わたし」を表現したくて、でもできなくて、20年悩み苦しんだ末の小さくて大きな一歩だった。


【第2章】正解のない世界で、私だけの道を

シンガーソングライターを仕事にする道は見えなくて、社会経験のため会社員へ。挑戦しない道を選んだつもりだったのに、会社員生活は地獄だった。

「もう "ふつう" でいるの、諦めたら?」

心も身体もおかしくなっていたある日、そんな声が聞こえた。一般的なルートを選んだって苦しいなら、本当に進みたい道なき道へ踏み込む方がいい。

2019年、会社を辞めて音楽に振り切った。花*花さんのライブのオープニングアクトを担当したり、60人呼んで最大規模のワンマンライブをしたり……。

でも、どんなに頑張ってもほとんどの人に振り向いてもらえない。そんな葛藤を抱えながらも、企画ライブに力を注いでいた2020年。世界の状況が変わってライブができなくなった時期に、たまたま対話と出会った。

2021年、対話を用いた初めてのオンラインイベント「感覚をコトバに」を開催。音楽を聴いて感じたことをシェアし合う時間で、来てくれた人に「幸せな時間だった」と泣きながら言ってもらえるほど、大成功なイベントになった。

私にはこれまで音楽をしてきて、大きな幸せを感じた瞬間が2つある。

1つ目は、亡くなった母への想いを綴った歌を聴いて、大切なおじいさまを亡くした同世代の女性が「心に響いた」とわざわざ声をかけてくれた瞬間。

2つ目は、ライブ中ゾーンに入ったかのように、会場にいるすべての人の幸せだけを心から願いながら歌えた瞬間。

私はただ歌を歌いたかった訳じゃない。周りの人の幸せを純粋に願いたくて、私の言葉や想いで誰かに希望を与えたくて、その手段としてたまたま歌を選んだんだ。

そんな私にとって「感覚をコトバに」は、初めて見つけた歌以外の手段だった。

これまで作ってきた歌を並べてみると、泣いちゃうくらい「大丈夫」って言い聞かせているのが伝わってくる。想いを言葉にするのも、歌を誰かに聴かせるのも、たくさんの人の前で歌うのも、本当は全部全部怖かった。

でも歌ってきたおかげで、私は自分の心と深く向き合い、仲良くなれた。そしてやっと、自分だけの道を切り開く準備が整ってきた気がする。

▼ここまでの詳しい物語はこちら


【第3章】"らしさ" を温め続けたいから


2022年、「感覚をコトバに」を事業化したくて、「cankoto」というブランド名をつけた。けれどイベントは企画できても、誰にも届かないかも……というこれまで受けた傷が深すぎて、なかなか進めない1年。

その間、未経験からインタビューライターになり、30名以上の方のお話を聞いて物語を紡いできた。そうするうち、私は「その人らしさ」をとても大事にしたいのだと気づいた。

これからは、出会う人一人ひとりの心をそのまま抱きしめてあげたい。

私はどうも人と違う部分が多くて、そんな自分のことを "らしさ" として受けとめられるようになるまで時間がかかった。だからこそ人の個性を純粋に「素敵だな」と思うし、どうか潰されずに大事にしてほしいと願っている。

みんなが心から自分を生きて、「人生、楽しいね」って思えますように。
それがcankotoを形にしようと頑張る理由。

私はこれからも、私らしさを追求し続けるし、その表現の仕方も模索し続ける。だから一緒にどうかな?「私でよかった」と思える人生をつくっていく、仲間になれたら嬉しいな。

第3章はまだ始まったばかり。これまでを超えられるくらい、おもしろい物語を紡げますように。

to be continued…

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