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【カサンドラ】 37.2014-再音

ヴィジュアル系バンドというものに出会ってから、人生が一転し、
好きなバンドを追いかけて日本全国どこにでも行くようになった。
湘南の友人達と一切会わなくなっても、
私は「凌」という新しいキャラクターを持って
次の世界を生きることができた。
それらは全て、あの日音楽に出会ったからだった。

正確には”出会った”というのには、語弊がある。
子供の頃から音楽が好きだった、というか、
好きという自覚さえなく、いつも当たり前のように私の傍にあった。
家に呼んで良い友達は限られていたし、活発ではないから、外で遊ぶのが苦手で、
1人で楽器をいじることぐらいしかできなかったのかもしれない。
だけれど、あの頃の私が何の否定もされず小学校4年生になっていたら、
将来の夢の作文には”歌手”と書いただろうと思う。
ボディにピンクレディーの2人の写真がプリントされたウクレレや
木琴、ラッパ、お菓子の詰まっていたマイク・・
いくつもの楽器を買い与えてもらい、
いつも1人で音を出して遊んでいた、そんな写真を見たこともあった。
幼稚園でみんなで歌った曲を覚えてきては、家に帰ってから
カラフルな鍵盤のおもちゃのピアノで弾いて歌う。
楽譜のない曲を正確に再現する姿を見ていた母親が、ピアノを習ってみないかと持ち掛けてきたのは
私が5歳の頃。
先生の家には、大きなグランドピアノが2台あった。
初めて触れる、本物のピアノ。私は音と共に沈む鍵盤の感覚に夢中になった。
しかし週に一度のレッスンは厳しく
ミスタッチは持ってのほか、曲が持つストーリーと違う弾き方をすれば甲高い声を挙げぴしゃりと手を叩くような先生で
毎週震えながらレッスンに通った。
それから11歳まで習っていたが、両手の小指が腱鞘炎になって辞めてしまった。
クラシックにかぶれていた母親が、ロックやポップスを“馬鹿が聴くものだ”と見下すので
母の思想に対する小さな反発でもあった。
それからもクラブで常に音楽に触れてはいたものの、"音楽が好きである"という気持ち自体を鈍らせていたので
正確には、”音楽と再会した”という感覚だったと思う。

ある時のライブの後、友人たちと近くの居酒屋で打ち上げをしていたら
友人が最寄り駅まで帰れる電車を逃してしまい、
私も友人に付き合って、二子玉のバーに立ち寄った。
入る前にネットで調べたところ
2~4時閉店とアバウトだが、駅から近く洒落た外装の割に、価格設定がそれほど高くなかったので、取り急ぎのここで時間を潰すことにした。

5月の大型連休が終わったばかりだからだろうか
店内は思ったより静かだった。
先客は2名の男女だけで、カウンターには2人の男性がいた。
若い方の黒髪のバーテンが、笑顔を作り私たちをカウンターに座らせ
マスターと思われる長髪の男性が手際よく酒を作ってくれた。
マスターはフランクな語り口で、私たちが何故ここに辿り着いたのかを説明させ
名前を告げたところで
若い方のバーテンが「何のライブだったんですか?」と、こちらに尋ねた。

私たちが通うバンドの名前は、80%の人が知らない。
だから言っても無駄だと言いながら口にしてみたところ
そのバーテンから想定外の返答が返ってきた。
「あー…  ギターの人の脱退ライブ行きましたよ僕も。あれ昨年でしたっけ?」

彼の名前は智くんと言って、ラウド系のバンドをやっているらしく
言われてみればそう見えなくもない。
音楽の専門学校を出ているので、友達にヴィジュアル系のバンドをやっている人もいて
時々ライブを観に行くことがある、ということだった。
私は興味津々になり、酒の勢いに任せて智くんに色々と話を投げかけた。
智くんも、こんな話ができるお客さんはこの店では珍しい、というので盛り上がり
閉店までの時間があっという間に過ぎた。
一緒に会話を楽しんでいたマスターが、店を閉めてそのまま始発まで飲ませてくれるというので
その言葉に甘えて6人で朝を迎え、眠い目をこすりながら始発で帰宅した。

それから私は、二子玉方面に出向いた際に店に1人で顔を出すようになった。
智くんは私の自宅最寄り駅の2つ隣の駅に住んでいて
終電を逃した時は私のタクシー代を持ってくれた。
5つ年上の姉がいるという彼は、私を凌ちゃん凌ちゃんと呼び慕い
誕生日には私が欲しいと漏らしていたイヤホンをプレゼントしてくれた。
私は兄弟がいないのでわからないけれど、
弟がいるとこんな気持ちなのだろうかと思いながら
新しく訪れた日々に浮かれていた。

Raphael-花咲く命ある限り

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