【カサンドラ】 36. 2019-再会

夕食を済ませ子供たちのお風呂も終わり、真紀子と録画したドラマを見ながら珈琲を啜っていると
大地が店が暇だから飲みに来いというので、ダウンジャケットを羽織り外に出た。

大地の店は移転当初から外装は変わっていないが、最近ソファーやテーブルなどを一新したそうで
店内はルームフレグランスの匂いに混ざって、真新しい家具の匂いが立ち込めていた。
落ち着いたブラウンで色彩が統一され、磨かれた木目のテーブルが上質な品格を醸し出す
この辺りの客層が容易に想像できる高級感のある創りになっていた。
店に誰も居ないのをいいことに、僕は中央に一つだけある豪華なテーブルセットのソファーに腰を下ろし
上着を脱いだ。
イタリア製のブランドものだろうか、普段僕が着ているユニクロとは明らかに違う
カチっとしたシルエットの黒いシャツを、グレーのボトムに仕舞いながら
大地は自分のお茶を持ってこちらへやって来て、僕のダウンをハンガーに掛けてくれた。
40過ぎのおっさんが二人、この数ヶ月で急速に仲良くなった気がして、なんだか照れ臭いが
喋っているのはほとんど僕ひとりだった。
僕が子供たちの話をすると、独身の大地は大きな目を細めて嬉しそうに聞いてくれた。
しかし大地はあまり自分の話をせず、やはり渡辺の話になり
彼女が初めて店に来た時の話をしてくれた。

***********

二子玉川に店を移転したら、新宿の時より少々広くなったので
智くんという29歳のスタッフをひとり雇った。
今時の若者ではあるが、センターで分けた黒髪に奥二重の目が上品で、
なんとなく育ちの良さを感じる青年だった。
バンド活動をする傍ら長年水商売をして生活してきたようで、
女の子のファンがたくさんいることに慣れているのか
一見の客に対する物腰も柔らかく、客の誘いのかわし方も年季が入っている。
この日はGWが終わった後の最初の休日で暇だったため
客足によっては早めに店を閉めようと思っていた。
深夜1時を回った頃だったろうか。
店内は終電の客が帰り、家が近い常連客の男女2人だけになったので
カナダのお土産で頂いた高級なチョコレートを出したところに
店の扉が開く音がした。

2人組の女性客で、一人は黒髪のショートヘア、もう一人は腰まで伸びた髪を青緑に染めている。
店にそうゆう客があまり来ないので、少々驚いたが平常心を装い迎え入れると
智くんが落ち着いた様子でカウンター席に案内してくれた。

2人は何かのライブ帰りに打ち上げをしていたら、終電を逃したらしく
帰れるところまで帰って来て、開いている店を探したのだそうだ。

「何のライブ?」と智くんが聞くと、どうやら智くんの知っているバンドのライブ帰りだったようで
そこからえらく話が盛り上がった。
黒髪の女性はりな様となぜか様付け呼ばれており、
緑髪の方は凌、リョウと読むらしい。一体何の名前なのだと思いながら二人で復唱し名前を覚え、
音楽トークに花を咲かせた。
智くんがバンドを知っていたせいか、凌のほうが興奮した様子で話を始めた。

年は俺と同じくらいだろうか、彼女はYouTubeでXJAPANのhideさんに出会い
リセットボタンが押されたかの如く新しい人生を楽しみ始めたらしい。
hideさんなら音楽に疎い俺でも知っている。
ライブハウスという場所に初めて足を踏み入れたのが30過ぎてからだという
貴重な体験を、ラムコークを流し込みながら熱く語っていたのを覚えている。

そもそも、音楽が好きだったことさえ忘れていたという凌。
同じものを好きで、話が通じる智くんと話をするのが楽しかったのだろう、
それから数ヶ月に一度程度のペースではあったが、時折店に訪れるようになった。
髪が青緑なので忘れない。
あまり自分のことを話さない代わりに、音楽の話になると熱くなりすぎて終電を逃す。
その都度智くんがタクシーで送っていたが
あれからどうしたかと聞いても、普通に帰りましたよ、と答えるだけだった。
翌日も俺より早く店を開け、特に眠そうにしている様子もなかったので
疑うこともなく過ぎた。
4度目の来店、久しぶりに顔を見せた時は
髪が黒くなっていて、誰なのかわからないくらい普通のお姉さんになっていた。
他の常連客が鎌倉に行った話をした時に、俺が鎌倉の奥地の出身であることを話すと
彼女も鎌倉に住んでいたと言い出して、同級生であることが判明した。
あまりの偶然に驚き、喜んでいたので、これが原因で来なくなったわけではないと思うけど
あれを最後に姿を見ていない。

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ちなみにバンドを追いかける女性たちのことを”バンギャ”と呼ぶらしい。
ということまで教えてくれた。
大地も知らない世界の話を、目を輝かせてしていたという渡辺は
やっぱりどうして生き続けることができなかったのかが、どうしてもわからない。
あのアメ限記事が気になる。
しかし、読めない。
という問答が続いた。

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