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【カサンドラ】29. バセドウ病

幸か不幸か、惚れた腫れたに感情を左右されない生活では仕事が捗り、
新しい会社に店長で入社して、半年ほどで本社企画に移った。
シーズンごとに決められた型数の絵型を描き、それをOEMメーカーに依頼して
商品サンプルを上げる。
その流れの中で、OEMメーカーが提出してくる「仕様書」というものが描けるようになれば
"デザイナー"と呼ばれるポジションで仕事をすることができると知った。
私は自分の仕事をしながら見様見真似で、カットソーの仕様とイラストレーター、フォトショップを覚え
一ヶ月ほどで原寸の10分の一の絵型を入れた仕様書を出せるようになった。
そこで今度は、ODMメーカー(デザインを含めた企画生産)に転職した。

渋谷の109 当時2階の大半の敷地を占めていた、大手企業D(現:J)が展開するブランド、CM。
その一角のカットソーコーナーは、一時期8割方自分のデザインで埋められた。
受注は一度に2万枚。売れればさらに追加で万単位のオーダーが来る。
雑誌のタイアップに使われれば、有名モデルが私のデザインを着て表紙を飾ってくれるのだ。
噂を聞いた企業から声がかかり、取引先はどんどん増えてゆき
気が付けば8ブランドほどのデザインを手掛けるようになった。
納期のない仕事をする時は毎日終電の土曜出勤、時に徹夜して
全ての取引先の仕事を一人でこなしていた。
せっかく掴み取った自分の居場所を失いたくない。
私はアシスタントを入れることを拒否して、ボロボロになりながら仕事を仕上げた。

過労のせいか、体調が良くない日が続いた。
何を食べても激しい下痢になるので、体重がどんどん落ちてゆく。
通勤の一時間、電車の中で立っていると冷や汗をかくほど疲れてしまうし、
脈が早く常に緊張状態で、外で食事しようものなら吐き気が込み上げる。
おかしいと思いながらも、検査をしても原因がわからず
私は鉛のように重い体を引き摺り、休むことなく出社した。
平日の通勤ラッシュ帯、渋谷から辻堂まで一時間ほど
やっと座れたと思った時、目の前に”赤ちゃんがいます”という札を下げた女性が立った。
吊革にぶら下がる両腕に頭を預け、なだれ込むようにしてこちらに食い込んでくるその女性に
私は席を譲らなくてはならないのだろうか。
病気のために優先席に座れるというマークを付けているわけでもない私は、
冷や汗をかきながら、理不尽な思いを噛みちぎるようにして席を立った。

ある朝、お腹が空きすぎて普段食べない朝食を作って食べた。
茶碗一杯のご飯にアジの開き、味噌汁と納豆、卵焼き。
それだけ食べても足りないのだ。
食べている最中に、お腹が空いたとさえ思う。
そして激しくお腹を壊す。
ひたすら繰り返す身体のバグに、悲しくなって、
泣きながら食事を口に運んだ。
これほど具合が悪いまま仕事に行っても、病名がついていないために
職場の人たちに理解してもらえず、行けば当たり前のように働かされる。
だからと言って休めば、渡辺は体力がないから一人では務まらないと判断され、
自分の居場所をなくしてしまう気がして怖かった。
私は何としても、自分で家賃を払わなければいけないのだ。
ようやく手に入れた、初めての安心できる場所。
私にとっては、5畳一間の部屋であっても、自分だけの城だった。

自宅マンションのたった3階の階段を登ると、50Mを全力疾走したかのように疲弊する体力のまま
そんな生活を数ヶ月続けていた。

体重が36kgになった頃、これがバセドウ病という病気であることがわかった。
投薬で良くなるが、完治はしないらしい。
これも、以前の病気と同じ自己免疫疾患の一つで
副作用で髪が抜けたり、太ったりする。
今度はメルカゾールという薬を飲みながら、居場所を守りたい一心で
病気とは思えないフットワークで仕事を続けた。

Sum41 - The Hell Song

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